だって、思いついたから このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-04-24女王刑事マリー&ワネット

第二部・佐渡島シャッター

| 第二部・佐渡島シャッター - だって、思いついたから を含むブックマーク はてなブックマーク - 第二部・佐渡島シャッター - だって、思いついたから


1

9月1日

それは佐渡島シャッターが初めて登校した日となる。佐渡島シャッターは、10歳になるまでのずっとを病院の中で過ごした。佐渡島シャッターが生れ落ちたその日に、彼は1/100000000000の確率で起こる奇病に選ばれ、両親はそれから病を治療する事に尽力し、その結果として佐渡島シャッター病院から出られなくなった。

そして10年目にしてついに、奇病の治療は現代医学から見放される。

「申し訳ありません。しかし、これ以上の治療は私たちには出来ません」

医師達は深々と頭を下げた。それは医学に対するプライド故の謝罪であった。佐渡島シャッターは瞬時に医者と両親の空気を読む。そして、その空気から逃れたくて、その空気に背中を押されるように、佐渡島シャッターは両親と医者の目の前で言った。

「僕、学校に行ってみたい」

もちろん嘘であった。小さな頃から病院で過ごした内気な少年にとって、今更学校に行く事は恐怖でしかなかった。ハンデだけを持って、通常のゲームに戻されることに、佐渡島シャッターは怯える。だが時間は佐渡島シャッターにとってあっという間に過ぎていく。

そして、9月1日


2

佐渡島シャッターは、人生で初の登校で、人生で初の遅刻を経験する。誰もいない運動場を横切り、見知らぬ廊下を、教えられたとおりに進む。心臓バクバクと鳴り続けている。

「どうしよう……っく。怒られるかな。登校初日で、……かっこ悪い。でも、靴の紐が切れたり、ィック。犬に追いかけられたり、道に迷ったり……もう学校来るなって事なのかな……ヒっく」

佐渡島シャッターの登校はまさしく不運の連続であったが、それは彼のクラスメート達と比べればこれ以上ない幸運であったことを彼はまだ知らない。それを知るのはもうすぐ、彼が教室のドアを開けたときであった。

遠くから教師の声が聞こえる、静かな廊下佐渡島シャッターはとぼとぼと歩いていた。どうせ遅れるなら、急いでもしょうがない。永遠に辿り着かなければいいのに。しかし、というか当たり前に、佐渡島シャッターは4-2の教室に辿り着く。教室から、小さな声がもれている。

佐渡島シャッターは、恐る恐るドアを開けた。

佐渡島シャッターは、そこに、一人の魔王と、魔王に蹂躙される人々を見た。それが佐渡島シャッターが初めて見た教室である。


魔王は美しい声で言った。

「細切れにしたピーマンを立体に戻すまで帰さない」


3

佐渡島シャッター学校に到着する数十分前、来栖川蟻砂が教室のドアを開けたとき、クラスメートの、か弱く、邪悪生物達は、最初いつものように蟻砂に対する暴力を行使しようとした。突きつけられたモップには濡れて異臭を放つ雑巾がくくりつけられており、蟻砂は顔をしかめる。モップを持つ男子とその後ろに野次馬のように群がる数人の男子、女子、それぞれが一様にニヤニヤと同じ顔で蟻砂を見ている。蟻砂は、その下卑た精神と愚劣な行為が彼らも気付かぬ内に彼らの精神の均衡を保つ為の儀式になっていることに、顔をしかめる。

もうすぐ授業が始まるはずだが、と黒板を見ると、大きく自習と書かれている。あのダメ教師め、また飲みすぎたな。蟻砂は軽く溜息をつき、呼吸を整える。


モップを持つ男子男子A、その後ろに並ぶクラスメートを右から男子B,女子A,男子C,男子Dとする。まず蟻砂は男子Aに向かって一歩踏み込んだ。自然な動きで、間合いを詰めると、モップの柄に手をかける。男子Aが、蟻砂との距離感に戸惑いを覚えた瞬間、モップの柄が、男子Aの顎を跳ね飛ばした。男子Aは教室の天井にぶち当たり、バウンドして床に激突する前に、蟻砂にシャツを捕まれて、蟻砂の手の下でぶらぶらと揺れた。蟻砂の手から離れた男子Aは、べちゃと床に張り付くような音を立てて着床する。その音を聞いた女子Aは、ふいに首周りに現れた違和感に怖気立つ。女子Aの背後に立った蟻砂は、女子Aの首をなで、耳元で囁く。「じっと、してて、じゃないと……」男子Bはこのとき完全に戦意喪失した。咄嗟に振り向いた男子Cと男子Dはその瞬間に足を払われて、折り重なって倒れ、直列した頭蓋を蟻砂に踏み抜かれる。こうして男子A~D、女子Aは動かなくなった。蟻砂は悠然と、その足で、教壇に向かった。そして教壇に手をついて、クラスメート達に宣言する。

「これより特別HRを始めます」


4

「質問があります。先生

にやにやとした笑いを浮かべ、立ち上がったのは強力金剛小学生の規格を楽々とクリアしたその体躯は、教室の照明をオイルに塗れた肌で乱反射し、『オーバーテクノターミネーター』『破格のグリズリー』『ロストテクノマッスル』の通り名を見るものに再認識させる。

蟻砂は教壇を下り、金剛の前に立ち、その巨躯を見上げて言った。

「私、熊に会ったらこう言おうと思ってた事があるの」

「……何ですか? 命乞いですか?」

笑う金剛に、蟻砂は無表情で言った。

「クマった。クマった」

クラス人間が数秒間停止した後に、馬鹿にされたと判断した金剛が、半径30センチの右腕を真っ直ぐに蟻砂に向かって撃ち出したが、そのミサイルの如き拳は、蟻砂の持つたった一本のそうめんに止められる。


言葉には、その言葉に相応しい時と場合がある。駄洒落もそう。『遭難したの?』『そうなんだ』という下らないやりとりは、全く下らないし意味も無いのだけど、遭難したその時が最も輝くときなの。だから人は全てわかった上でその言葉を言ってやる。『クマった』もそう。熊の目の前で困ったときこそ、その言葉が輝くときなの」

そう言って、蟻砂は、そうめんを弾く。開放された金剛の拳は、蟻砂の左斜め下方の床に突き刺さった。ここに至り、強力金剛は初めて息を吐いた。「なっ」

蟻砂は表情を変えずに、金剛を見据える。

「さて、貴方が今輝かせるべき言葉は何かしら?」

「……ご、ごめ」

残念

蟻砂はそうめんで、前かがみになり、目の前に突き出された金剛の頭頂をはたく。強力金剛の上半身が床にめりこみ、教室内で動くものはなくなった。

「手が床にめり込んでユカイユカイ、くらい言って欲しかったわね」

その瞬間完全に、クラスの時は凍りつく。


5

もはや、蟻砂を止められるものは誰もいなかった。

しかし、蟻砂は戸惑っている。戸惑っている自分に戸惑っている。私は、これから何をすればいい? 戸惑いを振り切るように、蟻砂は記憶に残る復讐の手段を次々と思い出す。そしてそれを実践していく。

マーサおばさんの修行は、蟻砂の心をも成長させている。復讐とは自己満足の手段である。既に自己を満足させている蟻砂にとって、実はその意味を持たない。だが、蟻砂自身はまだそれに気付いていない。泣きながら、ピーマンを拾い集めているクラスメートを見ながら、蟻砂はただ言いようのない虚しさを感じている。私は何をしたいのか。何をしたかったのか。


佐渡島シャッターが教室のドアを開けたのはそのときだった。来栖川蟻砂は、教室に入ってきた見知らぬ少年に目をやり、直ぐに視線をクラスメートに戻した。

佐渡島シャッターはその光景に魂を呑まれる。教室に渦巻く雑多な感情の持つ空気が、佐渡島シャッターを圧迫した。空気佐渡島に叫ぶ。「助けて」「先生を呼んで」「お前も加われ」「仲間に」「嫌だ」「そんな目で見ないで」「あんなやつに」「畜生」「俺は」「あたしは」「何も」

佐渡島シャッターには空気が視えた。それは色を持ち匂いを持ち、声を発していて、多くの場合、佐渡島シャッターを苦しめた。そして、この場に満ちた混合し混乱する空気に、佐渡島シャッター吐き気をおぼえる。だが耳や目を塞いでしまいたい気持ちが、目の前の不可解な現象に対する好奇心に抑えられる。

歪な空気の中心にいる少女クラス魔王彼女は、驚くほど空気を持っていない。空気を壊そうとする空気すらない。完全に空気を纏わない。エアマスターでもエアブレイカーでもない。空気にくるまれた塊ではなく、自分の肌に境界を引く少女佐渡島シャッターは、悩み嫌ってきた空気の不在に混乱し怯えた。


佐渡島シャッターは、蟻砂を指差し、叫ぶ。

「あなたは異質だ……!」

6

「何?」

「あなたは……ック!」

そして、佐渡島シャッターは突然蹲り、胸を押さえる。肩が震え出す。

異常を察知した蟻砂が、佐渡島シャッターに近付こうと一歩踏み出したそのとき、佐渡島シャッターの肩が揺れたかと思うと大きくはねた。同時に「ヒック」という吃音漏れる。

発作だ。佐渡島シャッターの生まれ持つ奇病。しゃっくりが止まらない病。

そしてクラスは異質の恐怖に包まれる。小さな少年の体が揺れて跳ねて折れる。壊れそうな程飛び跳ねる。それはもう人間の動きではなかった。

恐怖は伝染し増大する。それは今の蟻砂でさえ例外としない。蟻砂は恐怖している。クラスメートにさえ抱いた事のない恐怖を、目の前の痛々しい少年から感じている。

蟻砂はじっと見つめる。少年を。佐渡島シャッターを観察する。恐怖の正体を見極める為。それはマーサおばさんの教えだ。じっと見ること。目を背けないこと。そして、少年が跳ね回りながらずっと呟いている言葉を聞いた。

「……ごめんな…さック! …いック」


佐渡島シャッターもまた怯えていた。空気の渦が、今度は自分に向かっている。様々な空気をぶち壊して、存在する自分の病が、自分自身が、疎ましい。恐ろしい。体を軋ませながら、跳ね回る佐渡島シャッターは謝っている。息をするのさえ難しい状態で、ひたすらに謝っている。

蟻砂はそれが理解できない。

蟻砂は佐渡島シャッターの目を見た。そして、叫び出したい衝動を必死に押さえ込む。その瞳には、蟻砂が移っている。恐怖で見開いた蟻砂の瞳。握り締めた拳。それは、長い間、蟻砂が見続けていた眼だった。蟻砂を苦しめてきたクラスメートの眼だった。


7

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


唐突に、蟻砂は理解する。

理解できないものを人は畏れる。安心する為に自らのルールを他人に押し付ける。

わたしが今握り締めた拳で何をしようとした? この哀れな少年を叩き潰そうとした? 私のルールで?

「ご、ごめんッヒッ、なッひ、さい」

佐渡島シャッターはただ苦しみ、しかし謝っている。息をすることすら困難、そんな状況で。それは佐渡島シャッターの抱えた本当の病。しかしそれはまだ蟻砂にはわからない。

蟻砂は、佐渡島シャッターに近づく。他人の苦しみを、他人が癒す事はできない。それは蟻砂が経験的に学んだ事だ。だが、マーサおばさんが教えてくれたことがある。

そっと佐渡島シャッターに近づく。意思とは裏腹に跳ね回る手足が、蟻砂を打つ。蟻砂はそれでも近づく。

そして、蟻砂は佐渡島シャッターの小さな身体を抱きしめた。蟻砂の小さな体で、暴れる少年を抱き包み込む。

蟻砂はそのまま腕に力を入れる。佐渡島シャッターの胸にに重点的に圧力を集中させる。横隔膜の痙攣を力で抑え込む。

それは何十秒か何分か、その場にいた人間にとっては何十分に感じられた時間の後、佐渡島シャッターは静になった。


8

佐渡島シャッターは泣いている。意識は既に遠くに在る。

「どうしようどうしよう、このまま止まらなかったらどうしよう」

うわごとの様に死んじゃうようと泣きじゃくる佐渡島に蟻砂は微笑んで言った。

「どうしても止まらなかったら、私が結婚してあげる」

そのとき佐渡島シャッターのしゃっくりは止まる。しゃっくりが止まらなくて結婚したという例はたくさんあるのよ、と蟻砂が佐渡島シャッターを慰めているその最中に、佐渡島シャッターの肌が健康的名色を取り戻し、血液がどくどくと前よりも速く強く流れ込んでいるのがわかった。蟻砂は目を見張った。佐渡島シャッターは、己の中に沸き起こる力の奔流を、どうしようもない衝動を見つめていた。巻き込まれてはいなかった。少年は、完全に己の力を知覚し、制御した。


それは蟻砂の直観。蟻砂の物語の要請とも言うべき衝動。来栖川蟻砂という存在に呼応するような気を放ち、目の前に立って、彼女の心を侵食するこの少年。来栖川蟻砂は佐渡島シャッターの周囲で、パチパチと弾ける光と音を知覚した。それは蟻砂の目から出た火花なのかもしれない。

自然と、声が出る。

「きりんさんより、ぞうさんより、私は貴方が好きです」

佐渡島シャッターは、それを鷹揚に眺め、口を開く。

「俺は――」

トラックバック - http://throw.g.hatena.ne.jp/sasuke8/20070424