だって、思いついたから このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-04-02きゃー! 恥骨、恥骨ー!

みんなが幸せになれる世界

| みんなが幸せになれる世界 - だって、思いついたから を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなが幸せになれる世界 - だって、思いついたから


「この子は、父親に似て、生まれつき体が弱くて、運動が得意じゃないんです。球技とかも全然だめで。最近は、精神的なストレスで、体育も休みがちになってまして」

「ふむ」

「去年からいじめが始まりました。最近では、お金までとられるように……学校は先月から行ってません」

「そうですか……」

「あの……、この子が楽しく生きられる世界は、ありますでしょうか?」

母親は涙を浮かべて、前に乗り出した。私は、意識して笑顔をつくり、間をとってから、ゆっくりと言った。

「もちろんです。世界はほぼ無限にあります。安心してください。お母さん」




母親の顔がぱっと明るくなる。隣の少年は俯いたままだ。

「彼には無限の可能性があるんです。息子さんが、強く健康な体で生まれてきた世界、ふと見たテレビがきっかけでスポーツ選手になっている世界、はたまた彼自身がいじめっ子になっている世界など」

「そんな世界困ります」

明るい顔を豹変させて、眉をひそめて私をにらみつける母親に、私は慌てて言葉を継ぎ足す。

「もちろん、可能性です。存在移行先の世界は、ほとんどの場合、希望通りの世界になりますよ」

「ほとんどの場合?」

疑り深い母親だ。私は説明する。

「ええ。可能性は無限に近いのですが、要求が高すぎる場合、必ずしも希望通りとはならない場合もあります。それは、平行世界存在を移し変えるとしても、その世界において同じ魂を持つ人間と重ね合わせるに過ぎないからです。噛み砕いて説明しますと、魂と言うのはデタラメカットされた多面体の宝石です。魂は時間をかけて、削られていき、形を変えていきます。対して、それぞれの平行世界の肉体やそれから生まれる意識というものは、宝石をある方面から照らしたときの反射なのです。方向が世界、返ってくる光が世界での存在です。つまり、無限世界があっても、元の魂はひとつなのです。それ故に可能性は少しだけ制限を受けるのです」


母親はうなずきながら聞いているが、理解しているわけではないだろう。科学に裏付けられるはずの話に出てくる魂などという言葉が逆に、この母親の場合は、好意的に受け止められたようだ。個人的な印象では、女性にそのような人が多いような気がする。

「それで、私たちの希望世界は」

母親の声で我に返る。

「はい。事前の希望項目を満たす世界を検索し、候補を上げてあります。結果として、息子さんは、現在学力を維持したまま、並以上の運動神経をもてます。望めば、スポーツ選手になるなどの世界も開く可能性があります。ただし」

不安そうに母親が私を見る。

「その世界でのお母様の存在がズレます。親族ではありますが、その世界では、お母様は、息子さんのお祖母様として存在します」

きょとんとしていた母親は、しばらくして事を理解して、黙り込んだ。少し俯いて、じっと考え込んでいる。即答できることでもない。私はゆっくりと待った。しかし、そこで黙っていた少年が初めて発言した。

「僕、そこに行きます」

私と母親は驚いて少年を見る。

母親少年はしばし互いの目を見つめる。少年の目は、まっすぐと母親を見ている。その目に迷いはないように見えた。それに押されるように、母親が言った。

「息子を、その世界に移行してください」

「わかりました」

少し頭痛がして、私は暗い気持ちで鞄から書類を取り出した。




「本当に大丈夫? お母さんいなくても平気?」

「大丈夫だよ」

面談のときよりも、少年の表情は心なしか明るい。母親は心配そうだが、そこにそれほど悲壮感がないことが、私には見てとれた。今日は父親が来ていたが、少しだけ、少年に向かってぼそぼそとしゃべっただけだった。まあ、十分時間はあったのだ。別れはもう済ませていたのかも知れない。

少年カプセルに横になる。

蓋を閉めると、カプセルに入った少年は、この世界での存在が抹消され、指定された並行世界存在に重ね合わされる。これが、人類の誇る科学技術と、幾多の法律民意操作の末に作られた転生装置だ。そういうことになっている。

蓋を閉める前に、少年が両親に聞こえないように呟いた。

「どうせなら、あの人たちがいない世界に行きたかったな」

私は、目を閉じたまま、聞こえないふりをして、蓋を閉めた。


毎年、平行世界への存在移行を希望する人間は増える一方だ。存在移行は、公的機関により、厳正な審査を受け、執行される。しかし、それも表向きで、現状は書類さえ揃えば誰でも可能になっている。

「すべての人間幸福生きる権利を保障する」そう言って、政府存在移行を推奨したが、実際に保障するのはこの世界政府ではない。政府責任を放棄したに過ぎない。しかも、政府存在移行を推奨する本当の理由である、増えすぎてどうにもならなくなった人口問題だって、昔の人間達が未来人間達に責任をなすりつけたのだ。

どこまでも、人間は繰り返す。私も。私だって、それを知りながら、もう何人も、人を平行世界に送ってきたのだ。あるかどうかもわからない偽りの世界に。

頭痛が酷くなる。いつもの頭痛吐き気儀式だ。罪悪感を感じるための。私は、カプセルに手を置いて、少年に謝る。本当に、別の世界に行ったなら、どうか、幸せになってくれ。


そして私は、両親に向き直る。母親は、父親に顔を預けて泣いている。せめて今日だけでも泣いてあげればいい。私は両親に一礼し、意識して笑顔をつくり、間をとってから、ゆっくりと言った。

「息子さんは旅立たれました。今ごろ、向こうの世界で、幸せに暮らしていらっしゃるでしょう」