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2008-06-10麺30%、ポリエステル70%

部屋とYシャツと私

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お願いがあるのよ あなたの苗字になる私

大事に思うならば ちゃんと聞いてほしい


その部屋にはYシャツと私しかなかった。


私が思いだせる最初の記憶は、真っ白な四角い部屋と綺麗に畳まれて重ねられたまっさらなYシャツ、そして私。私はそこでYシャツに包まって寝て、Yシャツを刻んで食べて生を繋いだ。その部屋の天井はとても高く、真ん中に天窓がついていて、私は青い空や雲、夜は月や星を見て過ごした。天窓以外の唯一の外界との接点は、部屋の一方の壁に付けられた鉄格子の窓と、一つの白いドア。鉄格子は私の手がギリギリ届く程度、白いドアは押しても引いてもびくともしなかった。




私はYシャツがYシャツであることがわかった。天窓という言葉を知っていた。ドアが開くものだと知っていた。私がここにいることはおかしなことなのだと言うことを知っていた。誰かが私を閉じ込めたのだということも。でも、私が誰なのか、何をしていたのかはわからなかった。

私は、綿100%のYシャツを選んで食べた。一度、ポリエステルの混じったシャツを食べた日は、頭痛が止まらなかった。しかし、部屋に現れるシャツの種類は決まってなくて、ときには少しポリエステルの混じったものを食べなくてはならない日もあった。水は、鉄格子から振りこんで来る雨をYシャツに吸い取らせて溜めてすすった。

私はいつしか泣く事を止めた。いつか、ここを出る、それだけを考えるようになった。


チャンスはあった。

朝になると、私の部屋にはいつのまにか新しいYシャツが畳まれて置かれている。古いYシャツは持っていかれている。排泄物をYシャツに包んで置いておけば、次の日にはなくなっていた。誰かがこの部屋に入り、そして出て行ったのだ。

ただ、私は一度もはそれを見たことがなかった。私はある夜寝ないで誰かが来るのを待った。途中抗い難い眠気に襲われて、その日は確認することができなかった。次の日も、その次の日も、私は異常な眠気に襲われて、それを確認することはできなかった。そして、Yシャツに睡眠薬が入っていたのだと気付いた。

次の日、Yシャツを食べずに、眠った振りをして待った。その日の夜中、私はついにYシャツが持ち去られるのを見た。

まずきしむような音がして、床に近い壁がわずかに開いた。床の上15センチくらいの長方形の穴。そこから、大きなモップのような棒が出てきて、排泄物の入ったYシャツを持っていく。私の心臓は外に聞こえるような音でドクドクと波打った。どうする。どうすればいい。壁一枚のところに、私を閉じ込めたヤツがいる。しかし、私が動けない間に、モップは全てのYシャツを取り出し、代わりに新しいYシャツを押し出すと、再び壁の穴に消え、壁の穴はまたパチリと閉まった。

後で壁を調べたが、切れ目のようなものを見つけたものの、こちらから開きそうにはなかった。それに開いたとしても、そこから脱出することは、私の体ではできないと悟った。


鉄格子にYシャツの袖を通し、丁度袖が輪になるように結ぶ。輪の中に首を入れて、体を重力に預ける。ぐっと首が絞まる。息が出来ない。頭が白くなる寸前で、私は立ち上がった。一度に空気を吸おうとして、酷く咳を繰り返した。私は死ぬ所だったのだと、気付いて、吐いた。そして、辺りのYシャツを掴んで、めちゃくちゃに撒き散らした。狂いそうだった。ここにはYシャツと私しか居ない。私は、疲れ、自らの嘔吐物の中で眠った。Yシャツと共に。

希望を絶たれた私が選んだのは死ぬ事だった。次の日から食べる事を完全に止めた。いっぱいのYシャツの中で私は眠り続けた。緩やかに死んでいく。それは想像以上の苦痛だった。自分を殺すのは自分の本能を殺す事だ。生きたいという思いを、殺したいという思いで塗りつぶす。白を黒に。光を闇に。


一週間が経った。私が動くのをやめて二日たった日の事だった。ついに扉が開いた。私の視界は闇に覆われている。ただ床を通して、誰かが近づいている事がわかった。部屋に散らばったYシャツを踏む音が聞こえる。

そして、私の心臓が再び鳴り始める。

知らず、私は立ち上がっていた。犯人が目の前にいる。目の前で立ち上がるのは計画にない。それは、愚かな感情だ。予定では後ろから襲うつもりだった。だが、やはり、最後に生きている顔を見たいと思ったのだ。

ヤツは男だった。驚いた顔で立っている。背はそんなに高くない。痩せている。細い眉と目、薄い唇。観察したのはそこまでだった。

私はにっこりと微笑んだ。ここには鏡がなかったので、汚れた私の顔が、どのように相手に見えたのかわからない。私は天使のように微笑んだつもりだったけれども。

男が一瞬動きを止めた隙に、私は、手に持ったYシャツで作った投げ縄の輪の方を投げる。Yシャツのリングは男の首にかかり、私が手に持ったYシャツを引っ張ると、リングは男の首を完全にロックする。Yシャツは幾重にも繋がって、あの鉄格子にかかっている。私は鉄格子からぶら下がるYシャツに持ち替え、全体重、全生命力をかけて、それを引っ張った。


私の計画はシンプルだった。死にそうになった私の様子を見に、または死体を回収しようと部屋に入ってきたヤツの首にYシャツを巻いて、鉄格子で作った絞首台にて殺す。私の細い腕や体重で、おそらく男であるヤツに対してそれが可能になるとはとても思えない。これは賭けだった。死ぬ覚悟が、私を生かした。


動かなくなった男を置いて、部屋を出た。ドアの外には、直ぐに階段があって、そこが半地下であることがわかった。階段を上がると、そこはまた別の部屋だったが、窓から、日の光がさしていた。私は窓を開け、懐かしい空気と日の光を直に浴びた。覚えている。私は、それを覚えている。私は、ここに生きていたのだ。


その部屋には、私のいた部屋を映したモニターと、テレビ局にあるような機材がたくさん置いてあった。酒とタバコの匂い、散乱した菓子などが一人暮らしの男の生活を感じさせた。並べられたテープやDVDには「Yシャツ生活」と書かれたラベルが貼られていた。部屋に積まれたYシャツを見ていたとき、後ろで扉が開く音がした。

私は恐怖した。絶望の果て、恐怖や痛みを忘れていた私が、希望を得て、久しぶりに「恐怖」した。ゆっくりと振り向く間に、私は何度も自分の迂闊さを呪った。何故、こんな簡単な事に気付かなかったのか。私は、ヤツが一人の変態性欲を持った吐き気がする糞野郎であると思い込んでいた。いや、そのような変態が何人も徒党を為していると言う現実を認めたくなかったのかもしれない。

それでも、数秒で恐怖を新しい殺意に変えて奮い立たせた私を迎えたのは、怯えた顔をした老婆だった。老婆は私を見ると、短くひっと声を上げて硬直した。その様子が私を少し安堵させ、私の最後の緊張の糸を切った。私の体は既に限界を迎えていたのだった。そこで、私の意識は緩やかに断ち切られた。視界が闇に染まる中で、ごめんなさいという声が聞こえたような気がした。


目を覚ました私が見たのは白い天井だった。関節が錆付いたかのような抵抗を感じながら、顔を横に向けると、そこには私と同じ年くらいの、薄いピンク色の白衣を着た女性がにこやかな笑顔で立っていた。

「病院です。もう大丈夫ですよ」と女性は笑った。そして、私は、ようやく泣いた。

病院に運ばれた私は、点滴を受けながら警察の事情聴取を受けた。私はあの部屋での生活を包み隠さずに話した。私の事情聴取をした初老の刑事は時折涙ぐみながら、私の話を聞いた。刑事は泣いている事を悟られないように途中で缶コーヒーを買いに行ったりしていたが、私が生きる為にヤツを殺した事も少し緊張しながら話したとき、ついに私の目の前で泣いた。しかし、刑事が私の罪を追求する事は無かった。

後で教えられた事だが、私が首を絞めたときヤツは死んでいなかった。しかし、気絶していた男は、目を覚ます前に、自分の母親によって胸に包丁を付きたてられて死んだ。私は老婆の最後の声を思い出していた。ごめんなさい。ごめんなさい。


私を閉じ込めていた男は元テレビ局のプロデューサーで、あの部屋での私の生活を記録し、自主制作番組として編集していたらしい。世に出す事のできないそれを男が何故撮っていたのか、今となってはわからない。

病院を出るときも私の記憶は戻らなかったし、私の身元はわからなかった。世間は私に同情と好奇のない交ぜになった視線を向けたが、それが私を救う事は無かった。結局、私は、私を担当した初老の刑事に引き取られる事になった。彼が私の父となった。

父も世間も私を哀れだと言う。確かに私は哀れだった。狂気にとり憑かれた男に監禁され、虐待された可哀想だった私。しかし、今は私はそうは思わない。父は、私を学校に入れてくれ、私の真っ白い記憶には、色とりどりの思い出が書き込まれていったのだった。

あの白い部屋にはYシャツと私しかなかった。しかし、この世界には、私が知り尽くせないほどの事物が存在している。私は過去の可哀想な私になど構っている時間はないのだ。私の父は、私の中にある当たり前の親の愛情を再び教えてくれた。私は、私の知識の中にだけあるそれらを一つ、一つ確認していこうと思うのだ。私の一生など、それだけで過ぎてしまうだろうから。



「…という過去を引き摺る私に対して、あなたは自らの歪曲した欲望の為に、ワザと私に少し大きすぎる男物のYシャツを着せ、長い袖から少しだけ手が出ている様子や、シャツの裾が揺れる度に私の下着が見え隠れする様子を眺める事で、時代遅れの自らのフェチズムを満足させ、過剰な性的興奮を得ようとするわけね。わかったわ。私、着る」

「ごめんごめんごめん。僕が悪かったよ。許して」

「ううん……わかってくれると思ってた……!」




時に男は女以上にナイーブな生き物……。無理な注文にはこのようにやんわりと断ってあげましょう。

(とっさの一言~夫婦生活編)




部屋とYシャツと私

部屋とYシャツと私

やちやち2008/07/05 17:05読みに来ました。
文章上手ですね。すごいです。
読みやすかった。

sasuke8sasuke82008/07/07 00:07本当に読みに来てくれるとは……。
嬉しいです。ありがとうございます。

izumo17izumo172009/01/31 14:15読ませて頂きました。
すごいですね。

まるで映画でも観てる気分になりました。

sasuke8sasuke82009/01/31 17:26ありがとうございます。嬉しいです。
乙一の7roomsとかTheBookの影響をもろにうけてますね。