2010-02-03
恵方巻殺人事件
カテゴリーF |
「この中に犯人はいます」
探偵はテーブルに手を着いて、そこに集まる関係者を見回して言った。
探偵の側に立つ男が驚いて声を挙げる。
「ほ、本当ですか? この恵方家で起こった使用人殺人事件の犯人が、この中に? ここには、恵方家当主で現恵方寿司社長でもある恵方巻蔵(66)、長男で実は養子だった巻寿司職人の巻太(27)、次男でまた養子でニートの巻和(25)、巻蔵の義理の弟でそれなりに金に困っている巻助(54)、その妻巻乃(52)、巻助と巻乃の子供で自称パンクロッカーの巻子(21)と、巻蔵の主治医で遠縁にあたるカリフォルニア出身で、日本に帰化したローリング医師(42)がいるわけですが、この中の誰かが、2月3日の節分の夜8時頃に、恵方家使用人・野利真樹(23)を恵方家の応接室にて棒のようなもので殴殺したと?」
「はい」
男は手を頭にやり、首を振りながら、
「確かに、事件の起こった日は、恵方家の特別な慣習として、全部で11人もいる使用人全てに暇を出し、ここにいる恵方一族だけで夕食を、ちょうど今集まっている食堂でとっていて、被害者の死亡推定時刻に同じ屋敷にいたのはこの7人しかいない……でも彼らは1時間に及ぶ夕食中トイレなどで食堂を出た人はいなかったと証言していますし、それが嘘で誰かをかばったり全員が結託して犯行に及んだなんてことは、彼らの関係から考え難いと仰ったのは探偵さんじゃないですか。被害者が巻蔵の隠し子である事がわかり、遺産がもらえなくなるかもしれない事から、巻蔵以外の人間には動機があるけれども、巻蔵が彼らのアリバイを証明してしまっている……」
「ありがとう。荒筋刑事。でも僕達はある見落としをしていたのです。宇井木警部、今年の恵方はどの方角かご存知ですか?」
突然指名された少し太った男は、戸惑いながら問いに答えた。
「それは、今年は庚(かのえ)の方位で、西洋式の16分割に直すと西南西と西の間くらいの方角だ……ちなみに恵方とは、または明の方(あきのかた)と言い、歳徳神の在する方位、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされる方角のことだが……それで良かったかね」
「ありがとうございます。では、この図を見てください。これは2月3日の夜の恵方家の夕食時の食堂の見取り図です。巻蔵さん、皆さんの座っていた席はあっていますか?」
恰幅の良い剃髪の男がうなずいた。
「この犯罪は、この日、この場所、この位置にいた人間にだけ可能になります。さて、犯人が誰か、わかりますか?」
「先を続けてくれたまえ。探偵君」
部屋が静かになったとき、巻蔵が探偵を促した。
「わかりました。では、まず僕達が何を見落としていたかを、説明する必要があります。それは恵方家の節分における習慣です」
「私が話そう」と恵方巻蔵本人が口を開いた。
「恵方寿司を興したのは私だが、恵方家は江戸時代から続く裕福な商家だった。その繁栄を祈願して、恵方家は伝統的に続けてきたのが節分の習慣だ。まず一つ目、鬼を外へ福を内に入れるとして、恵方家以外の人間を外に出す。使用人に金をやり暇を与えたのはそのためだ。一度外に出た者が、そこで鬼を出し、代わりに福を持って帰ってくるという言い伝えだが、使用人の内にある不満などを解消し、家を効率よく回す為のものだと私は理解している。二つ目が、恵方巻だ。恵方家特製の恵方巻を、恵方を向いて、もくもくと食べる。この間喋ってはいけない。世間の習慣と同じだが、これを家族全員で毎年欠かさず死ぬまでやるのだ。そんな家はまずないだろうな。まあ、ただの願懸けだがね」
「その特製の恵方巻の長さはどれくらいですか?」
突飛な探偵の質問に刑事達は眉をひそめたが、巻蔵は顔色一つ変えずに答えた。
「約2メートルだ」
「なっ」
荒筋刑事と宇井木警部の二人にだけ驚きの声があがる。しかし、その他の人間には当たり前のようで、何の反応もない。
「2メートルの恵方巻を食べるのにどれくらい時間がかかるのかわかりませんが、30分はかかるでしょうね。犯人が、皆が恵方巻を食べている間に、食堂を抜け出し、予め呼び出していた被害者を殺害した後にまた食堂に帰ってきて、残りの恵方巻を食べるのに十分な時間です。そして、誰にも気付かれずに食堂から出て行ける人間は、1人しかいない。恵方の逆方向に座っていた、巻太さん、あなたです」
探偵は、テーブルを挟んで向こう側に座る青年に視線を向けた。青年の後ろには食堂のドアがある。
恵方巻太は、取り乱すでもなく、ただ黙って探偵に視線を返した。
荒筋刑事が声をあげる。
「ま、巻太さんが……で、でも巻太さんは屋敷でも優しいと評判の好青年で、被害者も心を寄せていたふしがありますし、恵方寿司でも評判は高く、若くして、技術も経営手腕も認められています。それに、巻太さんは養子とは言え、遺産相続の権利は十分にある。そ、そんな人が、彼女を殺す理由が」
「僕が殺しました。探偵さんの言うとおり、みんなが寿司を食べている間にこっそりと抜け出して、あの子を殺しました」
巻太青年の淡々とした、しかし底冷えのする声が刑事の声を遮った。
探偵が悲しそうな顔をする。
「凶器は、何だね。どこで処分した」
警部が厳しい声を巻太に向けた。巻太が答えないのを見て、探偵が答える。
二人の刑事は絶句した。
巻太が口を開く。
「本当に人が死ぬのか不安でしたが、しなりをつけて打ん殴れば、あっけなく死にましたよ。お父さん、悪用されないように、長さと太さには気をつけなくてはなりませんね」
淡々と喋り続ける息子を、父親をじっと見ている。その目からは何の感情も読み取れない。
「元々、逃げ切れはしないだろうと思っていたので捕まるのはいいです。ただ一つだけ言っておくと、信じてもらえないかもしれないけど、僕は遺産なんてどうでも良かった。あの子に全く罪はないけれど、僕はあの子が憎かったんです」
「巻太さん……どうしてだ」
「どうして? あんたに言ってわかるのか? あいつは、いまさらノコノコ出てきて、おれの全てを奪っていく。何の苦労もせずに……」
「彼女だって、苦労してきてはずだ。父親を知らず、母の死後親戚を転々として」
「それが苦労か? はっ! 僕がこの家で、どんな苦労をしてきたか。小学生時代、おれは虐められたよ。なにせ俺は恵方巻太だからな。『恵方巻・ふとし』と俺のことを呼んだ教師がいて、それからずっと俺は恵方巻と関連づけられて笑われた。中学までいじめは続いた。鼻持ちならない成金社長の息子として、理由もなく嫌われた。高校からいじめはなくなったが、俺は名前を言う度に、軽んじられてきたよ。勉強もスポーツもどんなにできても、俺の名前はギャグにしかならないらしい。俺がこの家にもらわれたのは俺のせいじゃない。俺は努力した。俺の人生を生きるために。しかし、その努力も親父は踏みにじった。弁護士になる夢を諦めて俺は、俺を苦しめ続けた巻き寿司を作っている。それが人生か、俺は理解したよ。だがあいつはこの位置に何の苦もなく飛び込んできたんだ。それが、それが俺には」
しゃべり出す内に、巻太の感情がどっとあふれ出していき、最後は悲痛な泣き声とテーブルを拳で叩く音だけが部屋に響いた。荒巻刑事が青年の肩に手を置き、手錠をかけた。
探偵は目を瞑って、巻太の声を聞いている。
恵方家の庭で、パトカーに乗りこむ巻太を見ながら、警部は独りごちた。
「まさに、鬼は外ではなく、内にいたのだな……」
「いいえ」
隣で、ずっと無言だった探偵が口を開いた。
「あの夜、ずっと内にこもっていた鬼が、外に出たのです」
