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石麻二芯の文章読本 このページをアンテナに追加

2012-04-14

そして、見上げれば、彼女の目には蚊取り線香が映った

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品川に降り立ち、とうとう俺は東京に来たのだ、とひとりごちてみた。

階段を上がると人がまるで絨毯のようであった。

いや、理科の時間に見せられた、人間の消化管の蠕動や小腸の柔毛の方がふさわしいかもしれない、それがうごめく様は。

そんな街にのこのこ乗り込んでしまった。人の波と、それとどこまでも異質な自分を感じて、なんとなく運命という単語が浮かぶ。

しかしいくら運命とは言え、どちらが内回りでどちらが外回りか、そもそもどちらが目的地に続いているのか、それすら僕には見当がつかず、駅員に尋ねる。

間もなく滑りこんできた電車に乗り込み、ぎゅうぎゅうに押されながらメールを打つ。

停車駅を知らせるアナウンス。初めての土地だというのに聞いた事がある駅名ばかりで不思議な気分だ。乗客が乗り降りする度に外に押し出されてしまわないようにグッと身を固くする。

新宿で再び乗り換えだ。

ホームで辺りを見回せば背負ったリュックの大きさが場違いで恥ずかしくなる。

「走りだせ」と頭の中で歌の一節を呟いた瞬間、ドアが閉まった。

中央線がゴンと音を鳴らして走りだす。そしてまたメールを打つ。

彼女は吉祥寺で働いていると言っていた。

漫画でしか見た事が無かったその街を、開いたドアから見た。夕焼けに染まっていた。そこへまたドカドカと乗客がやってきて、扉が音を立てる。ほんの一瞬の事で、その街が彼女にふさわしいのかそうでないのか、僕にはよく分からない。

返信が届く。「おつかれー!南口で待ってるよ」。

周りの同乗者に顔を見られないように身を捩ろうとすると、リュックが当たって迷惑がられた。

「ひさしぶり!」

国立駅の改札を出た所。僕を見つけた杏は、まるで授業中のように勢い良く右手をあげ、そのままおいでおいでをした。薄い花がらの半袖シャツにパステルカラーのスカート。ティアードスカートとか言ったっけ? 正直かわいいと思う。くわえて足元は素足に、便所サンダルみたいなつっかけ。でもそれがなおさらかわいいと思ってしまうのだから、何と言うか、しょうがない。

「かばんおっきくない?」

「いや、他にいいのなくて」

「ほんとに鈍行で来たの?」

「だからそうだって」

「つかれたでしょ?」

「つかれたー」

「よしよし」

杏が僕の頭に手を伸ばしてきた。まだ帰宅ラッシュでも無いだろうに、それなりに人通りが多い駅の真ん前でそうされるのは相当な気恥ずかしさだったが、されるがままに。

「よく来たね」

「まあ、夏休みだからさ」

「ほんとに来るって思ってなかったから、ちょっとうれしいな」

杏は僕より頭一つ分背が低いのだが、時折こうやって僕の頭を胸の中に抱えるようにする。

「今、ちょっとって言った?」

「言った言った。あはは」

パッと手を離した杏の顔を見ると、満面の笑みで、それを見てしまうと、僕は何も言えなくなる。

「あ、カメラ持ってきたよね」

「え、ああ、うん」

リュックを下ろし、取り出す。

「あー、だからやめなよね、そのまま突っ込むの」

「いや、大丈夫だって、頑丈だし」

僕の手からカメラを奪うと、ストラップをかけ、慣れた手つきで設定を確認し、レンズキャップを外し、

「お、フィルター」

「うん」

「逆光だからいらないね」

と言いつつPLフィルターを無造作にシャツの胸ポケットに突っ込んで、構える。

「お前、俺にはあんな事言って」

「いいからいいから。笑って」

カシャッカシャッと二連写。

「うーむ、よしよし。やっぱり逆光は勝利だよね」

「頭上の余白は敵だ」

「トライXで万全」

デジイチだけどね」

「味気ないなぁ。はは。行こっ!」

そのまま杏に手を引かれ、西日の差す街を歩きだす。

「ここの駅舎、改装したばっかりなんだ」

「へー」

「前のは写真でしか見た事無いけど、前の方が好きだし、なんなら工事中の方がまだかっこよかったなあ」

「あ、ほら、あそこ」

「ん?」

「一ヶ月だけここでバイトした」

「ああ。牛丼作ってた?」

「作ってた作ってた。すぐ飽きた。あはは」

5ヶ月ぶりに会った杏は、相変わらずよく笑った。

二人の生活のリズムがあわず、最初はメールをするだけだった。それから約束した上で電話をかけるようになり、一度、両者とも携帯料金で破産しかけ、またメールのやり取りに戻り、スカイプなるものを知り、以来スマートフォンにそういったアプリを入れ、時には3時間、4時間話す事もあった。

「ここの喫茶店、最近お気になんだ。はい、そこ立って」

「え、また?」

「いいからいいから」

杏が笑いながらシャッターを切る。

ファインダーを覗いている時、どんな人間でも間抜けな顔になるというのが僕の持論だ。だけど僕は、杏が笑いながらそうしている時の顔が、間抜けどころかとても美しいと思う。たまらなく愛しいと思う。

大学の入学式の後、写真部のボックスに見学に行った時、杏は一人で留守番をしていた。

『お、もしかしてキミ、入部希望者?』

ボックス棟は木造で、杏が立ち上がった時も、床は派手に軋んだ。

『はじめまして、3回生二日市杏です。あん、じゃなくて、あんずね。』

右手を差し出され、少しためらったが握り返した。

開けっ放しの窓から、風に乗って桜の花びらが入ってきた。

入学初日に訪れるとは思わなかったが、まごうことなき一目惚れであった。

入居したてのアパートに帰って一人で悶絶した。姉と連絡を取ろうとしたが、通信状況が悪く、繋がらなかった。(今になって思えばそれは幸運だ。いきなり弟から一目惚れしたと言われて、どうしろと言うのだ。)

翌日、入部の意思を伝えにボックスに行った。よろしく後輩、と杏は笑った。二週間ほどして、杏が本当は1回生であると知った。

『大学デビューしようと思って、ついつい。あはは』

杏の愉快犯的な虚言はこれ以降も枚挙に暇がない。時にサークル全体を巻き込んだ大掛かりなものもあった。たとえば実は苗字も廿日市なのだ。これにはサークル全員が騙されていた。騙すと言っても何らの実害も無いのだが、まあとにかく、僕がその事を知るのは5月の連休明けの事だ。そしてその事を知った頃、杏は4回生の「先輩」と付き合い始めていた。そして僕も夏前に1回生の子と付き合う事になった。

「似たような三叉路がいくつかあるんだけど、駅から真っ直ぐ歩いて、ふたつめだから、間違えないように」

「おっけー。っていうか、駅からちょっと離れただけで随分静かだな」

「そうだね、隣の街が結構わいわいしてるけど、こっちは閑静な住宅街って感じかな。おっ!」

そう言って、傍を走り抜けていく小学生くらいの姉妹を、

「激写してやりましたよ、ええ」

早速今の写真を確認している。

「見て見て、思いの外いい感じ」

僕も一緒にディスプレイを覗く。

「うわ、気付かなかった。笑い返してくれてるじゃん」

「まあねー。子どもだって私の人柄が分かるんだよ。ついついあどけなく微笑み返ししちゃうってもんだよ。お姉ちゃんは6年生ぐらいかなー、かわいいなあ」

「お前さ、子どもの写真撮って道端でニヤニヤしてたら不審者だって通報されるぜ」

「願ったり叶ったり」

「願ってもないし、叶ってもいないだろ、それ。なんだよ、逮捕されたいのか」

「まあそれもいいかもね」

「最近は子どもを守ろうってあれが強いからな、最悪死刑もありうるな」

「それはそれでありがたかったりしてね」

「はは、そんなアホな」

笑いながら横の杏の顔を見た時、えっ、と。

杏は、唇を噛み締めていた。

強く、という感じではない。だけど、それはあまりにも杏にそぐわない顔だった。

と、目が合う。

「ん? どうした、少年、そんな顔して」

「え、あ、いや」

そんな顔って、お前の方こそ、

「行こっか」

僕が言う前に、何事も無かったかのように、杏は歩き出した。

「あ、うん」

えっと、何だろう。

「あ、そうだ!」

「え?」

「うちまで競争しよう!」

「いや、それ出来レースだろ!」

「あはは! 負けた方は裸踊りね!」

杏の家は木造モルタルのアパートの2階で、玄関から上がって階段を昇る。廊下はかなり薄暗く正直不気味ですらあった。しかし部屋自体は杏の以前の部屋と広さもさほど変わらず、しかも物の配置までほとんど一緒だったので、初めて来た気がしなかった。

「いいでしょ。っていうか、代わり映えしないでしょ。あはは。特に意識してなかったんだけど、同じ感じになっちゃってさあ」

あっけっぱなしの窓からは昏れかかった日を見て名残惜しくなっているのか、少し寂しげに蝉の声。

机の上の蚊取り線香の煙が、ゆっくりとたゆたいながら窓の外へ吸い込まれて行く。

杏は冷蔵庫から発泡酒をふたつ取り出し、

「まあ荷物を下ろしてこっちに来たまえ」

と窓際の棚に腰を下ろした。これも前の部屋からの付き合いだ。古物市で買ったかなりしっかりした作りの一品で、本来の用途とは違うのだろうが、窓際の椅子替わりとして杏は重宝していた。僕も向かい合うようにしてそこに腰掛け、発泡酒を受け取る。プシュッと同時に音がして、顔を見あって少し笑う。

「じゃあ、約10時間の長旅、お疲れ様でした! カンパーイ!」

ググッと半分ほど飲み干す。思わずプハーッと声が漏れる。そのタイミングまで同時になってしまい、また笑う。

「私たち、やっぱりお似合いなんじゃないかな!?」

くくっとお腹を押さえつつ、杏が言う。

「まあ、俺もそう思うよ」

「だよね? あー、やっぱり来てくれてうれしいなあ」

「うれしいって言っても、ちょっとなんだろ?」

「ううん、すごく」

たまらなくなって、出し抜けにキスしてしまった。

あ、という吐息を聞いて、もう一度唇を重ねる。もう一度。もう一度。もう一度……

コトッと音がして、杏の両手が僕の頭に伸びてきた。そのまま胸に引き寄せられる。杏が優しく僕を撫でる。

「杏」

「……ん?」

「したい」

「……何を?」

「セックス」

「うわ、単刀直入」

「じゃあ、まぐわいたい」

「いや、それ単刀直入具合変わってないよ!?」

「……石鹸のいい匂いする」

「え、あ、うん」

「シャワー浴びたの?」

「え、そうだけど」

「俺に会うから?」

「そりゃ、え、でも、そうだけど、シャワーなんていつでも浴びるじゃん、普通じゃん」

「でもこの匂い具合は迎えに来る直前に浴びたと睨んだ」

「そうだけどさ、ちょっともうやだ、変態っぽい」

「よいしょ」

杏の手をほどき、そのまま抱きかかえて持ち上げる。

「わ、ちょっとちょっと!」

不意打ちのお姫様抱っこに杏は慌てるが、側の布団にすぐさま下ろす。

「……なんか、強引」

「ごめん」

「いや、いいんだけどね」

顔を真っ赤にしている。それを見て、またたまらなくなる。キスをする。何度も。

杏の胸元に手を伸ばし、

「や、だめ……」

と、違和感。

「ん?」

「え?」

「あ、フィルター、入れっぱなしだ」

「ほんとだ。ごめん」

「少し会わないうちにおっぱい固くなったかと思った」

「ひどい! めっちゃやらかいですから!」

「ほう」

と言いつつ杏の胸ポケットからフィルターを取り出し、枕元に置く。

「今、取り出す時、ピクッってなったね」

「ちょ、もう! 全体的におじさんくさいよ!?」

たしかに杏は、相変わらずとてもやわらかだった。そして信じられないほど甘い。漏れる声に脳みそは痺れたまま平静には戻れない。名前を呼ばれる度に、心臓が早鐘を打つ。きつく抱きしめられた時に、これほど幸福に満たされるような相手が、僕にふたりと現れる気がしない。僕も幾度と無く杏の名前を呼んだ。そして抱きしめ返した。僕の呼びかけに応える杏が自分の腕に抱かれている事を、確かに腕の中に杏がいる事を、もしかすると今までで一番幸せに感じたかもしれない。そしてそれはつまり、今までの人生で一番幸せだったという事だ。

遠くでサイレンが鳴っている。いつまでも鳴り止まないと思ったら電話だった。

『ごめんね、寝てた?』

杏だった。

テストとレポートからようやく解放されて、いざ夏休みに突入せん!というその初日の事だ。前日、サークルの同期と飲み歩き、どうやって帰ってきたのかも覚えていなかった。

『ちょっと車出してくれないかな? ご飯おごるから。ビールもつけていいよ!』

杏だ。杏だ。僕はぼりぼり頭を掻きながら、落ち着け落ち着け覚醒しろ覚醒しろと結局は混乱する。

『すっごい掘り出し物なんだけど、持って帰れないんだったら売らないってお店の人が!』

午後二時の真夏の日差しが僕を射殺そうとする中、学部の先輩から譲ってもらったばかりの軽トラを飛ばした。

『ありがとう! ありがとう!』

何度も頭を下げられた。杏がこんなふうに人にお礼を言うのを初めて見た。ふたりでえっちらおっちらトラックまで運ぶ間、実の所、二日酔いで何度か戻しかけた。持ち手が無くて運びにくくて仕方が無いその棚に、僕がその後、しばしば座る事になるとは思っていなかった。これは2回生の夏の事だ。

部屋を掃除したら山積みの授業レジュメの間からフィルムカートリッジが転がり出てきて、いつもなら即座に現像するか、そうでなくても撮り終えた日付をメモするかしているのだが、何も無い。なんだっけと思ってボックスで現像した。これは2回生の春。新入生を迎え撃つ為の準備で僕らがそわそわしていた頃。ああ、そうか。僕はどうやら昔の事を夢に見ているらしい。そこに写っていたのはボックスでのクリスマスコンパの光景だった。無駄にでかいケーキや、先輩の実家から送られてきた大量のせんべいや、半裸になって机の上で踊っているOBやら。杏はサンタのコスプレをして笑っていた。ミニスカでないのはけしからんと散々けなされていたが、僕は杏が忠実にサンタをやっているのが、とても彼女らしくて、だからそっちの方こそ価値があるんだと、まあ口にはしなかったけど。フィルムの最後の方はピントも甘く、一見すれば被写体が判別できないような物もある。だけど僕には分かっていた。杏だ。ひたすら杏を写している。酔いに任せて。油断すると悶絶しながら外に飛び出しそうで、しかし黙々と作業を続けて、プリントまで一気に済ませ、洗濯バサミでパチパチ留めていき、腰掛けた時、見上げればそこにはたくさんの杏がいて、僕はずるずる椅子から滑り落ち、へたり込んでしまった。うー、とか、あー、とか唸りながら、どれくらいそうしていたか。

『大丈夫? 夜からずっと入ってるみたいだけど』

…なんてタイミングで。

『ねえ、大丈夫? ちょっと?』

そうなんだよ、実は僕は大丈夫じゃないっぽい。

『返事して! 入るよ? いい?』

勢い良く扉を開け、カーテンをまくり、眩しくて見えないはずなのに杏の顔がはっきりと分かる。馬鹿みたいな顔をして、だけど口が勝手に動く。

『ごめん、廿日市。好きなんだ』

それを聞いた杏は、

違うな。都合の良い具合に改変されている。あの時入ってきたのは確かに女性だったけど、僕が一番苦手にしていた先輩だった。

追い出しコンパ。もうほとんどが酔いつぶれて寝てしまっている。杏が、内緒だけどって言う。

『内緒だけど、私は悪い宇宙人から地球を護る為にミノルタ星からやってきたロッコール人なんだ』

『それ、ほんと?』

『ほんとのほんと』

『そんなの、俺に教えちゃっていいの?』

『いいのいいの。だけどみんなには内緒ね』

『なんで? なんで俺に教えてくれるの?』

『えー、それは内緒』

『じゃあさ、俺も内緒な』

目の前のグラスのビールをぐいっと飲み干して、杏に向き直る。

『俺はさ、』

『なになに?』

『俺は、廿日市の、さ、えっと』

杏が僕の手を握った。顔を伏せたまま。

廿日市?』

そのまま、僕の手を自分の顔に近付けていく。そこに涙が落ちた。

『聞きたいよ、内緒の事。教えてよ』

びっくりした、もちろん。いや、何が杏をそうさせるのか、僕には皆目見当がつかなかった。いや、本当はもう知っていたのかもしれない。とにかく僕は、

『俺な、』

緊張で喉の奥が貼り付いたように声が出ない。空いている方の手で寝ている奴から瓶をひったくり、一気にあおる。

『俺もさ、宇宙人!』

いきなりの大声に杏が身体をビクッと震わせる。

『俺はオリンパス暗黒星団から来た、悪い方の宇宙人! ちなみにコードネームはS-3.5!』

顔を上げた杏。ポカンと口を開けて、だけど両の目尻から涙が頬を伝っている。ひどい顔だ。それでもかわいいと思ってしまう僕は、本当にどうかしている。

『でさ、ここからが大事なんだけど!』

もう一度景気付けにビールを、と思ったが、もう空だ。仕方が無い。杏に噛み付きそうな勢いで、僕は言う。

『そんな悪い宇宙人なんだけど廿日市の事、好きなんですけど!』

うん、と言ったのかな、杏は。

杏が泣いている。また泣いている。これはいつだろう。駅だ。ホームの椅子に座っているのは僕だ。階段を降りてくる杏は、右手で、左手で、次々と溢れる涙を拭っている。だから顔は見えないけど、雪で肩を濡らした紺色のダッフルコート、あれは「先輩」が杏にプレゼントしたものだった。それから、首から下げたミノルタα−7。間違うはずが無い。あれは杏だ。ああ、そうだ。これは初めて杏が泣いてるのを見た時だ。僕は声をかけられずにいる。ついに杏は隣に座る。杏が泣きながら何かを言っている。だけど、その声は蝉の声で掻き消されて届かない。そして嗅いだことのある匂い。見てみると椅子の下、僕と杏の間に蚊取り線香が置いてある。僕たちは電車を待っている。杏はTシャツにジーパン土門拳の、どこかの子どもの写真。それを勝手に自分でTシャツにした「会心のTシャツ(海賊版)」。杏は笑っている。こちらを見て、そのままそのままと言う。わざとらしく舌をぺろっと出して、舌なめずり。ええ顔やでえ、少年。少年じゃねえっつうの。パシャ。杏のα−7から、ポラロイドみたいにフィルムが出てくる。ほら、と言って見せたそれにはちゃんと僕が笑って写っていた。

『かわいいなあ』

反射鏡の跳ね上がる音がして、その後に蝉が続く。

「お?」

ぼんやりとした視界の中、……杏?

「起きてしまったぞ」

そう言いながら、あ、ミノルタ。肘をついてこちらにレンズを向ける。

パシャ。

「ふむ」

こんどは僕のカメラに持ち替えて、もう一度、カシャッ。

「おはよう、少年」

ニッと杏が笑う。ああ、そうだ。

「俺、今、東京

あははは、と杏。

「そうだけどさ! 間違ってないけどさ! あはははっはは!」

寝ぼけた第一声がよほどツボだったのか、文字通り笑い転げている。

しばし、ぼーっと天井を眺め、窓の外を眺め、部屋の中を眺めした後、僕はずりずり起き上がった。Tシャツ一枚、下は何も着ていない。うーむ。それから携帯を見てみると既に14時。うわぁ、もったいねえ! 限りある時間を……!

杏に目を戻す。

ひーひー言いつつ仰向けで息を整えている杏もTシャツ。なんか、Tシャツの杏を夢に見た気がする。ちょうど今みたいなTシャツに、……パンツ。Tシャツにパンツ一丁。だ。杏が。左手で目を覆い、右手でお腹を押さえ、息を大きく吸おうと一生懸命になっている、その胸を見ると、ああ。なんてこった。

ノーブラだ。

杏は僕の性欲の前に、あまりにも無防備だった。

いろいろあって、ふたりでシャワーを浴びていたら、またもや神がかり的なタイミングでふたりのお腹が同時に鳴った。狭いシャワーの中でお互い苦しくなるほど笑い、杏がうどんをゆがいてくれる事になった。

扇風機の風を浴びつつ、窓際から街を見る。階下の部屋からはラジオの音が漏れ聞こえている。蚊取り線香の匂いを嗅ぎながらこうしていると、それこそ2年前の夏から何も変わらないようだ。

よっ、と立ち上がり、皿の上に乗っかった線香を手に取る。ぐるぐる渦巻いている。いつか見た銀河のように。僕や杏はいつまでもこうやってぐるぐるするのだろうか。もしふたりで手を繋いでくるくる踊り続けられるなら、それはなんて美しいだろう。だけどもう僕らは3回生でも4回生でもなく、僕は卒業しそこねた5回生。杏は中退したフリーター。そして、それぞれに背負っているものがある。僕らのぐるぐるは、きっとこの蚊取り線香と同じで、同じ軌跡は、

「おまはへー」

左手の大きめの平皿にはたっぷりとうどんを乗せて、右手に器と箸、口には麺つゆを咥えた杏を見て、僕は思わず笑い出す。

少し顔を赤くして、そんなに笑う事ないじゃんとか言いながら、あ、ごまとねぎ忘れてた、とか言いながら、そんな杏を見ながら、難儀な恋をしてしまったものだとつくづく思う。こんなにもかわいい人と、まっすぐに恋に落ちる事が、僕を浮き足立たせて、自分を保てなくさせてしまう。

『明日は、職場に連れて行ってあげる』

『お世辞だって言うかもしれないけど、みんなすごい面白い人たちだし、すごい優しいんだよ』

『恋人だって紹介したらみんな何て言うかな』

『カメラ持ってったら、いかにもって感じだから禁止ね』

昨日、セックスの後、まあ後と言っても何度もしたわけだけれども、昨日と言っても既に日付が変わったどころか、朝日は登っていたのだけれど、とにかく寝る前に、杏が言った。

だけど結局電車に乗ったのは21時過ぎだった。

『もうお店閉まっちゃったなー。連れていきたかったのに』

『まあでもいっか! とりあえずちょっと外、行こ?』

手を引かれて駅まで歩き、言われるままに切符を買い、ふたりでくっついて電車に揺られる。ふたりとも首からカメラを下げて、それが時々当たって、時々周りを気にもせずキスをした。

「蚊取り線香ってふたつが重なってひとつでしょ?」

「ん、なに?」

「いや、蚊取り線香。缶に入ってる時ってさ、らせんが2つくっついてるでしょ。あれって考えた人、すごいよねえ」

「うん。いや、いきなりどうしたの?」

「だって、さっき蚊取り線香見てたから」

「ああ、うん」

「好きだよね、蚊取り線香の匂い」

「杏の家で嗅いでからな。……前も言ったよな、確か」

「知ってる。覚えてるよ、あはは」

杏の唇が近くなる。そこに自分の唇を重ねる。

「私ね、ひとりだと、蚊取り線香と同じだったんだと思う」

促されるまま、快速から一度乗り換える。

「つまりね、ぐるぐる回って行き詰まりだったかなって」

杏は僕の頬にキスをし、それからギュッと抱きついてきた。

もう一度乗り換え。今度は地下鉄のようだ。

「君がいてくれたから、どん詰まりまで行っても、もう一度外に向えたんだって信じてる」

杏が、僕の頭に両手を回し、胸に引き寄せる。

ああ。

来る時が、来たんだな、と思う。

杏が泣いている。今まで聞いた事も無いような声で泣いている。

人目もはばからず。

だから僕も、泣くなよって言う。僕も泣きそうだけど、もうほとんど泣いてるんだけど、言う。泣くなよって言う。もう、ひどい感じで、人間じゃないみたいな声になってしまう。

人目もはばからず。

まあ、はばかる人目はもう無いんだけど。

いつの間にか、車両には僕らしかいない。

わんわん泣いている杏と、その杏に抱かれながら、杏にしがみついている僕しかいない。

電車が止まった。

大手町、とアナウンスが告げる。

「ごめんね」

多分そう言ったんだろう。僕には上手く聞き取れなかった。

杏が僕から離れる。僕は顔を上げる。

杏がα−7を構える。だから僕も愛機、E-5に手をかける。

「「大好きだ」」

ふたりとも同時に、地球では僕たちふたりしか知らない安全装置を解除した。同時にファインダーを覗き、同時に相手を視界中央に捉え、同時にピントを合わせ、同時にシャッターを切る。そうして、背負うものがあまりにも大きい、星間文明同士の威信をかけた戦いが始まった。

初手は出遅れたものの、躱す事ができた。しかしこちらも命中はしていない。

ちらっと後ろを見て、そうした事を後悔する。おそらく地上へと向かう階段があったであろう場所が大きく黒くえぐれている。壁、の残骸から水が吹き出し、エスカレーターを濡らしている。何という破壊力。絶対に、かすりもしてはならない。一目散に走り出す。無駄打ちさせなければいけない。もう一発。すんでの所で避ける。……杏は家を出る前に、36枚撮りのベルビアを装填していた。あと34発。あと34発? だけどもやらなければならない。「先輩」は勝てなかったが、僕は残り34、再び杏がシャッターを切り、今度は余裕を持って躱す、あと残り33発をやりすごせば、必ず勝てる。必然的にリロードが生じる銀塩で勝負に臨むのは、自分の腕に絶対の自信があるという事。その再装填に一分一厘の隙も無いだろう。では、死あるのみか。否。僕の勝利の方程式は完全に組み上がっている。

もはや音も聞こえない。色も感じない。完全にモノクロの世界。極限の集中が生むという、その世界を僕は逃げる逃げる逃げる。ただただ一つずつ積み上げながら、時に応戦し、しかし命中した所で杏には傷ひとつつける事はできず、大方予想していたとはいえ、彼我の技術・技量の隔たりには、呪いの言葉すら上ってはこなかった。そして、何をどうしたか、もう何も覚えてはいない。だがとにかく、僕は逃げ切った。そして、杏の36発目を、杏を視界から見失う事なく避けた。

全身をロッコール人特有の緑色に輝かせながら飛翔する杏は、息を飲むほどに美しい。

杏のα−7が役目を終えたカートリッジを排出すべく、フィルムの巻き取りを開始する。

極限の集中・緊張から、モードがさらにひとつ上の段階に達した。

色と、音が、戻ってきた。

この後の一瞬の為に、決してしくじらないように、命の全てを燃やそうとしている自分の精神が、僕には頼もしい。

人間の姿に擬態していた杏だって美しかった。心から愛していた。

ところが今、フィルムを理想的な長さだけ引き出し、巻き上がりのサインが出るのを待ち構える杏の姿はその比ではない!!

僕たちの星も発展途上星なりに必死にやってきた。それでも確かに僕たちの技術だけで杏、君たちには勝てない。

僕は杏に向けて、構える。

α−7のモータードライブが停止する。瞬時に再駆動。まさかこれまでとは。使用済みフィルムを取り出し、新たなフィルムを装填するその動きが、一切感知できない。だが、

だが、僕たちは、君たちの力を逆手に取るよ。

杏、すまない。

覗きこんだファインダーの中、杏は、構え始める。準備が整い次第、最速のタイミングで今度こそ僕を射抜くべく。α−7に遮られ、杏の顔が見えなくなる。

杏。パーフェクトリフレクトフィルターだ。

それこそが僕たちの切り札だ。君たちは知らない。つい一週間前に母星から届けられた起死回生の一擲。

特殊な偏光フィルターが、杏、君の力をそのまま君に跳ね返す。

杏の射線と僕の射線が完全に一致した。

そして、杏が撃つその刹那、僕はレンズに取り付けられたPLフィルターを、最適な角度に調整、あれ?

……あれ?

僕の手は空を切った。

フィルターが、ない?

次の瞬間、世界が何度もぐるぐると回った。

杏が僕を抱きかかえている。頭を撫でてくれている。

「全部、知ってたんだ」

杏の声が、温もりが、今はただただ聖母の慈愛のように降り注ぐ。

「私も、君もどうしようもないものを背負わされちゃったよね」

もう首から上しか感覚が無い。

あるいは首から下は本当に無くなってしまっているのかもしれない。

「もう一度入学式のあの日から昨日までをやり直したいな」

慈愛だけでは無かった。涙もまた。

「何度でも、繰り返したいな、無理だとしても、あはは……」

何度も、泣かしてごめんな。

それに、

あ。

この感覚。

僕はまだ手に持っていた。

安全装置をセットする。

なんだ、無傷じゃないか。

もしかして、杏さ、わざとこれだけは守ってくれたのか。

ははは、目ぇかすんできた。

サンタの時みたくピント合ってないかもだけど最後、撮らせてくれよ、また杏をさ。


ああ。


幸せだった。


カシャッ。


「ありがとう」


S-3.5が事切れた後も、廿日市杏はそのまましばらく動かなかった。

廿日市杏の上司にあたる人間が警護を引き連れ本社ビルから下りてくると、廿日市杏は手短に報告を済ませた。報告の最後、

「だけど、パーフェクトリフレクトフィルターなら、それはPLフィルターじゃなくて、PRフィルターですよね」

乾いた声で言ったが、それは地下鉄をごうと吹き抜ける風に邪魔され、誰にも届かなかった。

通例であれば、敵文明の戦士の亡骸とカメラは回収され、ミノルタ星へ送還される。しかし、今回S-3.5が使用したカメラは廿日市杏の予備兵装として転用される事が決定されていた。予め廿日市杏が上申し、それまでの功績を鑑みた連邦政府上層部が特例中の特例として、渋々ではあるものの聴許したためである。

廿日市杏は転がったE-5を手に取る。α−7とは逆向きにストラップを首にかける。敬礼と畏敬の眼差しを寄越す下級士官たちに軽く手を振り、口元だけは必死に形を崩さないように笑いながら、彼らの列を抜ける。そして、水漏れでどうにかなってしまわないように、廿日市杏はE-5をきつくきつく抱きしめ、ずぶ濡れになりながらひとりエスカレーターをのぼっていく。

東京の蚊取り線香(仮)その2

| 15:47 | 東京の蚊取り線香(仮)その2 - 石麻二芯の文章読本 を含むブックマーク はてなブックマーク - 東京の蚊取り線香(仮)その2 - 石麻二芯の文章読本

遠くでサイレンが鳴っている。いつまでも鳴り止まないと思ったら電話だった。

『ごめんね、寝てた?』

杏だった。

テストとレポートからようやく解放されて、いざ夏休みに突入せん!というその初日の事だ。前日、サークルの同期と飲み歩き、どうやって帰ってきたのかも覚えていなかった。

『ちょっと車出してくれないかな? ご飯おごるから。ビールもつけていいよ!』

杏だ。杏だ。僕はぼりぼり頭を掻きながら、落ち着け落ち着け覚醒しろ覚醒しろと結局は混乱する。

『すっごい掘り出し物なんだけど、持って帰れないんだったら売らないってお店の人が!』

午後二時の真夏の日差しが僕を射殺そうとする中、叔父から譲ってもらったばかりの軽トラを飛ばした。

『ありがとう! ありがとう!』

何度も頭を下げられた。杏がこんなふうに人にお礼を言うのを初めて見た。ふたりでえっちらおっちらトラックまで運ぶ間、実の所、二日酔いで何度か戻しかけた。持ち手が無くて運びにくくて仕方が無いその棚に、僕がその後、しばしば座る事になるとは思っていなかった。これは2回生の夏の事だ。

部屋を掃除したら山積みの授業レジュメの間からフィルムカートリッジが転がり出てきて、いつもなら即座に現像するか、そうでなくても撮り終えた日付をメモするかしているのだが、何も無い。なんだっけと思ってボックスで現像した。これは2回生の春。新入生を迎え撃つ為の準備で僕らがそわそわしていた頃。ああ、そうか。僕はどうやら昔の事を夢に見ているらしい。そこに写っていたのはボックスでのクリスマスコンパの光景だった。無駄にでかいケーキや、先輩の実家から送られてきた大量のせんべいや、半裸になって机の上で踊っているOBやら。杏はサンタのコスプレをして笑っていた。ミニスカでないのはけしからんと散々けなされていたが、僕は杏が忠実にサンタをやっているのが、とても彼女らしくて、だからそっちの方こそ価値があるんだと、まあ口にはしなかったけど。フィルムの最後の方はピントも甘く、一見すれば被写体が判別できないような物もある。だけど僕には分かっていた。杏だ。ひたすら杏を写している。酔いに任せて。油断すると悶絶しながら外に飛び出しそうで、しかし黙々と作業を続けて、プリントまで一気に済ませ、洗濯バサミでパチパチ留めていき、腰掛けた時、見上げればそこにはたくさんの杏がいて、僕はずるずる椅子から滑り落ち、へたり込んでしまった。うー、とか、あー、とか唸りながら、どれくらいそうしていたか。

『大丈夫? 夜からずっと入ってるみたいだけど』

…なんてタイミングで。

『ねえ、大丈夫? ちょっと?』

そうなんだよ、実は僕は大丈夫じゃないっぽい。

『返事して! 入るよ? いい?』

勢い良く扉を開け、カーテンをまくり、眩しくて見えないはずなのに杏の顔がはっきりと分かる。馬鹿みたいな顔をして、だけど口が勝手に動く。

『ごめん、廿日市。好きなんだ』

それを聞いた杏は、

違うな。都合の良い具合に改変されている。あの時入ってきたのは確かに女性だったけど、僕が一番苦手にしていた先輩だった。

追い出しコンパ。もうほとんどが酔いつぶれて寝てしまっている。杏が、内緒だけどって言う。

『内緒だけど、私は悪い宇宙人から地球を護る為にミノルタ星からやってきたロッコール人なんだ』

『それ、ほんと?』

『ほんとのほんと』

『そんなの、俺に教えちゃっていいの?』

『いいのいいの。だけどみんなには内緒ね』

『なんで? なんで俺に教えてくれるの?』

『えー、それは内緒』

『じゃあさ、俺も内緒な』

目の前のグラスのビールをぐいっと飲み干して、杏に向き直る。

『俺はさ、』

『なになに?』

『俺は、廿日市の、さ、えっと』

杏が僕の手を握った。顔を伏せたまま。

廿日市?』

そのまま、僕の手を自分の顔に近付けていく。そこに涙が落ちた。

『聞きたいよ、内緒の事。教えてよ』

びっくりした、もちろん。いや、何が杏をそうさせるのか、僕には皆目見当がつかなかった。いや、本当はもう知っていたのかもしれない。とにかく僕は、

『俺な、』

緊張で喉の奥が貼り付いたように声が出ない。空いている方の手で寝ている奴から瓶をひったくり、一気にあおる。

『俺もさ、宇宙人!』

杏の手が、一瞬ビクッとなる。

『俺はオリンパス暗黒星団から来た、悪い方の宇宙人! ちなみにコードネームはS-3.5!』

杏が顔を上げる。ひどい顔だ。ポカンと口を開けて、だけど両の目尻から涙が頬を伝っている。それでもかわいいと思ってしまう僕は、本当にどうかしている。

『でさ、ここからが大事なんだけど!』

もう一度景気付けにビールを、と思ったが、もう空だ。仕方が無い。

『そんな悪い宇宙人なんだけど廿日市の事、好きなんですけど!』

うん、と言ったのかな、杏は。

杏が泣いている。また泣いている。これはいつだろう。駅だ。ホームの椅子に座っているのは僕だ。階段を降りてくる杏は、右手で、左手で次々と溢れる涙を拭っている。だから顔は見えないけど、紺色のダッフルコート、あれは「先輩」が杏にプレゼントしたものだった。それから、首から下げたミノルタα−7。間違うはずが無い。あれは杏だ。ああ、そうだ。これは初めて杏が泣いてるのを見た時だ。僕は声をかけられずにいる。ついに杏は隣に座る。杏が泣きながら何かを言っている。だけど、その声は蝉の声で掻き消されて届かない。蚊取り線香の匂い。見てみると椅子の下、僕と杏の間に蚊取り線香が置いてある。杏はTシャツにジーパン土門拳のどこかの子どもの写真。それを勝手に自分でTシャツにした「会心のTシャツ(海賊版)」。杏は笑っている。こちらを見て、そのままそのままと言う。わざとらしく舌をぺろっと出して、舌なめずり。ええ顔やでえ、少年。少年じゃねえっつうの。パシャ。杏のα−7から、ポラロイドみたいにフィルムが出てくる。ほら、と言って見せたそれにはちゃんと僕が笑って写っていた。

『かわいいなあ』


反射鏡の跳ね上がる音がして、その後に蝉が続く。

「お?」

ぼんやりとした視界の中、杏?

「起きてしまったぞ」

そう言いながら、あ、ミノルタ。肘をついてこちらにレンズを向ける。

パシャ。

「ふむ」

こんどは僕のカメラに持ち替えて、もう一度、パシャ。

「おはよう、少年」

ニッと杏が笑う。ああ、そうだ。

「俺、今、東京

あははは、と杏。

「そうだけどさ! 間違ってないけどさ! あはははっはは!」

寝ぼけた第一声がよほどツボだったのか、文字通り笑い転げている。

しばし、ぼーっと天井を眺め、窓の外を眺め、部屋の中を眺めした後、僕はずりずり起き上がった。Tシャツ一枚、下は何も着ていない。うーむ。それから携帯を見てみると既に14時。うわぁ、もったいねえ!限りある時間を…!

杏に目を戻す。

ひーひー言いつつ仰向けで息を整えている杏もTシャツ。なんか、Tシャツの杏を夢に見た気がする。ちょうど今みたいなTシャツに、…パンツ。Tシャツにパンツ一丁。だ。杏が。左手で目を覆い、右手でお腹を押さえ、息を大きく吸おうと一生懸命になっている、その胸を見ると、ああ。なんてこった。

ノーブラだ。

杏は僕の性欲の前に、あまりにも無防備だった。

−−

この小説には然るべき結末が用意されており、完成した暁には

『【上昇賞】女の子がエスカレーターをのぼっていくところで終わるオリジナルの小説・漫画を募集します。』

http://www.tokyo-esca.com/blog/archives/2012/04/11210000.html

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EnverEnver2012/04/30 23:36Stay ifnomrative, San Diego, yeah boy!

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2012-04-13

東京の蚊取り線香(仮)その1

| 05:46 | 東京の蚊取り線香(仮)その1 - 石麻二芯の文章読本 を含むブックマーク はてなブックマーク - 東京の蚊取り線香(仮)その1 - 石麻二芯の文章読本

品川に降り立ち、とうとう俺は東京に来たのだ、とひとりごちてみた。

階段を上がると人がまるで絨毯のようであった。

いや、理科の時間にビデオで見た、消化管の蠕動や小腸の柔毛の方ふさわしいかもしれない、それがうごめく様は。

そんな街にのこのこ乗り込んでしまった。人の波と、それとどこまでも異質な自分を感じて、なんとなく運命という単語が浮かぶ。


しかしいくら運命とは言え、どちらが内回りでどちらが外回りか、そもそもどちらが目的地に続いているのか、それすら僕には見当がつかず、駅員に尋ねる。

間もなく滑りこんできた電車に乗り込み、ぎゅうぎゅうに押されながらメールを打つ。

停車駅を知らせるアナウンス。初めての土地だというのに聞いた事がある駅名ばかりで不思議な気分だ。

停車する度に外に押し出されてしまわないようにグッと身を固くする。

新宿で再び乗り換えだ。

ホームで辺りを見回せば自分の大きくて大げさなリュックが場違いで恥ずかしくなる。

「走りだせ」と頭の中で歌の一節を呟いた瞬間、ドアが閉まった。

中央線がゴンと音を鳴らして走りだす。そしてまたメールを打つ。


彼女は吉祥寺で働いていると言っていた。

漫画でしか見た事が無かったその街を、開いたドアから見た。夕焼けに染まっていた。そこへまたドカドカと乗客がやってきて、扉が音を立てる。ほんの一瞬の事で、その街が彼女にふさわしいのかそうでないのか、僕にはよく分からない。

返信が届く。「おつかれー!南口で待ってるよ」。

周りの同乗者に顔を見られないように身を捩ろうとすると、リュックが当たって迷惑がられた。


「ひさしぶり!」

国立駅の改札を出た所。僕を見つけた杏は、まるで授業中のように勢い良く右手をあげ、そのままおいでおいでをした。薄い花がらの半袖シャツにパステルカラーのスカート。ティアードスカートとか言ったっけ? 正直かわいいと思う。くわえて足元は素足に、便所サンダルみたいなつっかけ。でもそれすらかわいいと思ってしまうのだから、何と言うか、しょうがない。

「かばんおっきくない?」

「いや、他にいいのなくて」

「ほんとに鈍行で来たの?」

「だからそうだって」

「つかれたでしょ?」

「つかれたー」

「よしよし」

杏が僕の頭に手を伸ばしてきた。まだ帰宅ラッシュでも無いだろうに、それなりに人通りが多い駅の真ん前でそうされるのは相当な気恥ずかしさだったが、されるがままに。

「よく来たね」

「まあ、夏休みだからさ」

「ほんとに来るって思ってなかったから、ちょっとうれしいな」

杏は僕より頭一つ分背が低いのだが、時折こうやって僕の頭を胸の中に抱えるようにする。

「今、ちょっとって言った?」

「言った言った。あはは」

パッと手を離した杏の顔を見ると、満面の笑みで、それを見てしまうと、僕は何も言えなくなる。

「あ、カメラ持ってきたよね」

「え、ああ、うん」

リュックを下ろし、取り出す。

「あー、だからやめなよね、そのまま突っ込むの」

「いや、大丈夫だって、頑丈だし」

僕の手からカメラを奪うと、ストラップをかけ、慣れた手つきで設定を確認し、レンズキャップを外し、

「お、フィルター」

「うん」

「逆光だからいらないね」

と言いつつPLフィルターを無造作にシャツの胸ポケットに突っ込んで、構える。

「お前、俺にはあんな事言って」

「いいからいいから。笑って」

パシャパシャと二連写。

「うーむ、よしよし。やっぱり逆光は勝利だよね」

「頭上の余白は敵だ」

「トライXで万全」

デジイチだけどね」

「味気ないなぁ。はは。行こっ!」

そのまま杏に手を引かれ、西日の差す街を歩きだす。

「ここの駅舎、改装したばっかりなんだ」

「へー」

「前のは写真でしか見た事無いけど、前の方が好きだし、なんなら工事中の方がまだかっこよかったなあ」

「ふーん」

「あ、ほら、あそこ」

「ん?」

「一ヶ月だけここでバイトした」

「ああ。牛丼作ってた?」

「作ってた作ってた。すぐ飽きた。あはは」

5ヶ月ぶりに会った杏は、相変わらずよく笑った。

二人の生活のリズムがあわず、最初はメールをするだけだった。それから約束した上で電話をかけるようになり、一度、両者とも携帯料金で破産しかけ、またメールのやり取りに戻り、スカイプなるものを知り、以来スマートフォンにそういったアプリを入れ、時には3時間、4時間話す事もあった。

「ここの喫茶店、最近お気になんだ。はい、そこ立って」

「え、また?」

「いいからいいから」

杏が笑いながらシャッターを切る。

ファインダーを覗いている時、どんな人間でも間抜けな顔になるというのが僕の持論だ。だけど僕は、杏が笑いながらそうしている時の顔が、間抜けどころかとても美しいと思う。たまらなく愛しいと思う。


大学の入学式の後、写真部のボックスに見学に行った時、杏は一人で留守番をしていた。

『お、もしかしてキミ、入部希望者?』

ボックス棟は木造で、杏が立ち上がった時も、床は派手に軋んだ。

『はじめまして、3回生二日市杏です。あん、じゃなくて、あんずね。』

右手を差し出され、少しためらったが握り返した。

開けっ放しの窓から、風に乗って桜の花びらが入ってきた。

入学初日に訪れるとは思わなかったが、まごうことなき一目惚れであった。

入居したてのアパートに帰って一人で悶絶した。姉に電話をかけたが繋がらなかった。(今になって思えばそれは幸運だ。いきなり弟から一目惚れしたと言われて、どうしろと言うのだ。)

翌日、入部の意思を伝えにボックスに行った。よろしく後輩、と杏は笑った。二週間ほどして、杏が本当は1回生であると知った。

大学デビューしようと思って、ついつい。あはは』

杏の愉快犯的な虚言はこれ以降も枚挙に暇がない。時にサークル全体を巻き込んだ大掛かりな、そして意味不明なものもあった。たとえば実は苗字も廿日市なのだ。これにはサークル全員が騙されていた。騙すと言っても何らの実害も無いのだが、まあとにかく、僕がその事を知るのは5月の連休明けの事だ。そしてその事を知った頃、杏は4回生の「先輩」と付き合い始めていた。そして僕も夏前に1回生の子と付き合う事になった。


「似たような三叉路がいくつかあるんだけど、駅から真っ直ぐ歩いて、ふたつめだから、間違えないように」

「おっけー。っていうか、駅からちょっと離れただけで随分静かだな」

「そうだね、隣の街が結構わいわいしてるけど、こっちは閑静な住宅街って感じかな。おっ!」

そう言って今度は走っていく小学生くらいの姉妹を、

「激写してやりましたよ、ええ」

早速今の写真を確認している。

「見て見て、思いの外いい感じ」

僕も一緒にディスプレイを覗く。

「うわ、気付かなかった。笑い返してくれてるじゃん」

「まあねー。子どもだって私の人柄が分かるんだよ。ついついあどけなく微笑み返ししちゃうってもんだよ。お姉ちゃんは6年生ぐらいかなー、かわいいなあ」

「お前さ、子どもの写真撮って道端でニヤニヤしてたら不審者だって通報されるぜ」

「願ったり叶ったり」

「願ってもないし、叶ってもいないだろ、それ。なんだよ、逮捕されたいのか」

「まあそれもいいかもね」

「最近は子どもを守ろうってあれが強いからな、最悪死刑もありうるな」

「それはそれでありがたかったりしてね」

「はは、そんなアホな」

笑いながら横の杏の顔を見た時、えっ、と。

杏は、唇を噛み締めていた。

強く、という感じではない。だけど、それはあまりにも杏にそぐわない顔だった。

と、目が合う。

「ん? どうした、少年、そんな顔して」

「え、あ、いや」

そんな顔って、お前の方こそ、

「行こっか」

僕が言う前に、何事も無かったかのように、杏は歩き出した。

「あ、うん」

えっと、何だろう。

「あ、そうだ!」

「え?」

「うちまで競争しよう!」

「いや、それ出来レースだろ!」

「あはは! 負けた方は裸踊りね!」


杏の家は木造モルタルのアパートの2階で、玄関から上がって階段を昇る。廊下はかなり薄暗く正直不気味ですらあった。しかし部屋自体は杏の以前の部屋と広さもさほど変わらず、しかも物の配置までほとんど一緒だったので、初めて来た気がしなかった。

「いいでしょ。っていうか、代わり映えしないでしょ。あはは。特に意識してなかったんだけど、同じ感じになっちゃってさあ」

あっけっぱなしの窓からは昏れかかった日を見て名残惜しくなっているのか、少し寂しげに蝉の声。

机の上の蚊取り線香の煙が、ゆっくりとたゆたいながら窓の外へ吸い込まれて行く。

杏は冷蔵庫から発泡酒をふたつ取り出し、

「まあ荷物を下ろしてこっちに来たまえ」

と窓際の棚に腰を下ろした。これも前の部屋からの付き合いだ。古物市で買ったかなりしっかりした作りの一品で、本来の用途とは違うのだろうが、窓際の椅子替わりとして杏は重宝していた。僕も向かい合うようにしてそこに腰掛け、発泡酒を受け取る。プシュッと同時に音がして、顔を見あって少し笑う。

「じゃあ、約10時間の長旅、お疲れ様でした! カンパーイ!」

ググッと半分ほど飲み干す。思わずプハーッと声が漏れる。そのタイミングまで同時になってしまい、また笑う。

「私たち、やっぱりお似合いなんじゃないかな!?」

くくっとお腹を押さえつつ、杏が言う。

「まあ、俺もそう思うよ」

「だよね? あー、やっぱり来てくれてうれしいなあ」

「うれしいって言っても、ちょっとなんだろ?」

「ううん、すごく」

たまらなくなって、出し抜けにキスしてしまった。

あ、という吐息を聞いて、もう一度唇を重ねる。もう一度。もう一度。もう一度…

コトッと音がして、杏の両手が僕の頭に伸びてきた。そのまま胸に引き寄せられる。杏が優しく僕を撫でる。

「杏」

「…ん?」

「したい」

「…何を?」

「セックス」

「うわ、単刀直入」

「じゃあ、まぐわいたい」

「いや、それ単刀直入具合変わってないよ!?」

「…石鹸のいい匂いする」

「え、あ、うん」

「シャワー浴びたの?」

「え、そうだけど」

「俺に会うから?」

「そりゃ、え、でも、そうだけど、シャワーなんていつでも浴びるじゃん、普通じゃん」

「でもこの匂い具合は迎えに来る直前に浴びたと睨んだ」

「そうだけどさ、ちょっともうやだ、変態っぽい」

「よいしょ」

杏の手をほどき、そのまま抱きかかえて持ち上げる。

「わ、ちょっとちょっと!」

不意打ちのお姫様抱っこに杏は慌てるが、側の布団にすぐさま下ろす。

「…なんか、強引」

「ごめん」

「いや、いいんだけどね」

顔を真っ赤にしている。それを見て、またたまらなくなる。キスをする。何度も。

杏の胸元に手を伸ばし、と、違和感。

「ん?」

「え?」

「あ、フィルター、入れっぱなしだ」

「あ、ほんとだ。ごめん」

「少し会わないうちにおっぱい固くなったかと思った」

「ひどい! めっちゃやらかいですから!」

「ほう」

と言いつつ杏の胸ポケットからフィルターを取り出し、枕元に置く。

「今、取り出す時、ピクッってなったね」

「ちょ、もう! 全体的におじさんくさいよ!?」


たしかに杏は、相変わらずとてもやわらかだった。そして信じられないほど甘い。漏れる声に脳みそは痺れたまま平静には戻れない。名前を呼ばれる度に、心臓が早鐘を打つ。きつく抱きしめられた時に、これほど幸福に満たされるような相手が、僕にふたりと現れる気がしない。僕も幾度と無く杏の名前を呼んだ。そして抱きしめ返した。僕の呼びかけに応える杏が自分の腕に抱かれている事を、確かに腕の中に杏がいる事を、もしかすると今までで一番幸せに感じたかもしれない。そしてそれはつまり、今までの人生で一番幸せだったという事だ。

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この小説には然るべき結末が用意されており、完成した暁には

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2011-01-08

(It's a) wonderful world.

| 07:54 | (It's a) wonderful world. - 石麻二芯の文章読本 を含むブックマーク はてなブックマーク - (It's a) wonderful world. - 石麻二芯の文章読本

つい先程、目の前で起こった、いくつかの不可解な出来事に関して、しかし僕は説明する言葉を持たない。

自分の文章力の限界を呪ってもいい。

いや、ひょっとすると、それは文章力ではなくて、僕の人間力の欠如に起因するものかもしれない。

だとすると、呪うべきは、これまでの自分の人生というわけか。

ふむ。

しかしながら、自分の人生を呪うなどというのは、何とも生産性のないことなので、

少しでも肉薄できるよう、その不可解な出来事を、僕の記述力でカバーできるほどまでに微分し、

そうすることで、何とかお伝えすることが出来たらいい。

そう思い直すことにしよう。

前向きなのが僕の美徳だ。


さて、まずは、シチュエーションについて語ろう。

時間、そして場所、だ。


時間、西暦2011年1月8日、土曜日、昼の1時過ぎ。

場所、京都市左京区吉田二本松付近


うん。

詳細に語る、というのが、逆に全体を見え難くすることの好例だな、これは。

もっと平易に行こう。


新年の、とても寒い日、その昼。京都のとある場所での出来事である。


そうだ、これくらいでちょうどいい。


さて、まず第一の出来事だ。


僕は、タバコを切らしてしまった。

同居人のタバコを勝手に吸っていたが、これもまた切らしてしまった。

買いだめとかしてないかなあと、これもまた勝手に同居人の部屋を漁ってみたものの、

ついぞタバコを見つけることが出来なかった。

しょうがないのでタバコを買いに外に出ることにしたのだが、

なんとも面倒なことだが、最寄りのタバコ屋には同居人の銘柄は置いていないのである。

つまり、なんとも面倒な婆さんが店番をしている、

徒歩10分ほどのタバコ屋に行かなければならない、ということである。

「最初からお前のタバコはすっからかんであった。下手な言いがかりはよせ。死ね」

同居人が帰ってきたらそう言い放ってやってもよかったのだが、そこは、僕も人の子。

情けをかけて婆さんのところまでタバコを買いに行くことにしたのであった。


外は京都には珍しいほどの雪である。

だから、クソ美味くもない同居人のタバコを吸ってまで、僕は外に出たくなかったのだが、

こうなってしまってはしょうがない。

ここは、いっちょ、気分転換ということで、散歩気分で出かけようではないか。


そんなわけで、僕は外に出たのだ。


雪が降ると、降っていない時に比べて、心なしか暖かい。

誰がそんな妄言を吐いたか知らないが、殺してやりたい。自死しろ。

死ぬほど寒いではないか。

幸いにして、同居人から巻き上げたお年玉でフード付きのダウンを買っていたので、

フードを被り、完全防雪仕様とする。

そもそもだ、大学生になってまでお年玉をもらっている同居人の人間性を疑う。

そしてその大事なお年玉を、鍵のかからない机の引き出しにしまう浅はかさ。

彼は学業に関して言えば、僕よりなかなかに優秀ではあるが、

その実、人間としては、とてもではないが出来ているとは言い難い。

これを教訓とし、彼のさらなる人間的成長を、僕は願うものである。


家から200メートル程行ったところで、信号に捕まった。

細い道なので、別にそのまま渡ってもよかったのだが、

見れば道はがちがちに凍り付いているようで、

僕を見つけて急ブレーキを踏み、

しかし凍りついた路面が故に制御不可能に陥り、

そんな車に体当たりをかまされても敵わないので、

ここは正直に青に変わるのを待つことにした。


その時である。


老人が猛スピードで交差点に侵入し、

ボーリングで言えば、ストライクコースに向うボールのように、

すうっとカーブを描き、

電柱に激突し、

死んだ。


激突した電柱は、僕がこれから渡ろうとしていた先の電柱なので、

本当に死んだか、と確信を持って言えるわけではないのだが、

しかし、どうも首の骨は折れているようだし、

小説や漫画で得た知識でしかないが、首の骨があんな折れ方をしていては、

まず死んだとみて間違いはないだろう。


「そうか、アイスバーンとはやはり恐ろしいものだな」

ついつい独りごちる。

彼にも子がいただろう。孫がいてもおかしくない。

長い間連れ添った妻が家で帰りを待っているかもしれない。

しかし、彼が生きて敷居を跨ぐことはないのである。

なぜなら死んだから。


と。


今度は先ほどとは違う老人が、

(当たり前だ、先ほどの老人は既に死んでいる)

またもや猛スピードで交差点に侵入し、

またもやすうっとカーブを描き、

電柱に激突し、

死んだ。


むう。

これはこれは。

ここで便宜的に、最初に死んだ老人を老人Aとしよう。

次に死んだ老人を老人Bとしたい。

なぜここでこんなラベリングをするのか、といえば、

最終的に、

いや、最終的に、と言うのは正しくないか。

信号が変わり、僕が横断歩道を渡り始めるまでに、

さらに老人C、老人D、老人Eが現れ、

そして死んでいったからだ。


老人Aと老人Bは前向きで激突ししたが、

老人Cは後ろ向きであった。

老人Dと老人Eは横向きであった。


老人Dは電柱に激突する際、

近くを通りかかった自転車の女性を道連れにした。

迷惑な話もあったものである。

もちろんその女性も死んだ。


実に2分にも満たない、この一連の出来事は確かに不思議なことかもしれない。

だが、考えてみれば、これほど当たり前のこともない。

電柱にあれだけのスピードで激突すれば、老人は死ぬのである。

さもありなん。


「雪に慣れていない地方の人々は、無茶をするからな」

信号が変わったので、渡る。


と。

僕の視界の端。

老人Fが現れた。

これは僕にとっては驚きであった。

なぜなら、いったい誰が、自分が横断歩道を渡っている時に、

交差点に猛スピードで突っ込んでくる老人がいると思うだろう。

もしもそんなことを想定して歩行している人がいるとすれば、

それはとんでもない「かもしれない歩行」である。

死んだほうがいい。

リスクマネジメントとは、そういうものではない。


さて、僕がどうしたかと言うと、

もちろん、現時点でこれを記述している時点でお分かりのように、

死ぬことはなかった。

流石に少し焦りはしたものの、所詮相手は老人である。

猛スピードで突っ込んでこようとも、躱せないほどではない。

僕はすっと身体を引いて、

そして老人Fは何事もなかったように電柱に激突し、

死んだ。


横断歩道を渡り終えたちょうどその時、

目の前のコンビニから出てきた女性が、

その光景を見て、

「まあ」と言った。

そして肉まんを食べながら、そのまま歩いて行った。


そうだ。それでいい。それが正しい。

取り立てて騒ぐことでもない。

世の中に不思議なことなど、実はそうそうないものである。

その時の僕は、まだそう思っていた。


そのコンビニの角を曲がる。

ここでやっと、第一の出来事である。

たまたま僕の文章に目が止まり、そして読んでくれている諸氏には非常に申し訳ない。

最初の出来事に到るまでに、すでに2700字も費やしてしまった。

日常の何気ない風景の描写が、物語に奥行きを持たせるという事実には論を俟たないが、

しかし、そうであったとして、本当に必要のない描写というのは存在する。

にもかかわらず、そういった贅肉の多いものであっても評価されているのだから、

なかなかどうして、世間というものは分からない。

たとえば、「青い鳥」。

含蓄のある児童文学であるというのが一般的な評価であるが、はたしてどうだろうか。

「やっぱり我が家が一番だね」という、それだけのことを言うのに、

わざわざ物語にしたてる意味があるのだろうか。

連休などに旅行に行けば、自ずと体得できることでもある。

まあ、いいだろう。

グリム兄弟に喧嘩を売るつもりで筆を執ったわけではないのだから。

兄弟で仲よく童話を練っているというのもなかなか気味悪いものではあるが。

ん?

グリムではなかったか?

いや、いい。

とにかく、話を先に進めよう。

もとい、話を始めよう。


僕がコンビニの角を曲がると、

なんとも俄には信じ難い光景が目に飛び込んできた。


少女、

おそらく小学校に通っているくらいの年の頃の少女が、

三角木馬に跨っていた。

この寒空の下、身につけているのは、ランドセルのみである。

少女は後ろ手に縛られ、

おそらく、もう長いことそうしていたのであろう、

少女の上気した頬とは裏腹に、髪と肩には雪が積もり、

少女の股間の辺りには、薄く凍りついた愛液が見える。

「に、にいひゃ、ら、らめえ」

見れば、その三角木馬の傍らに、その少女の兄と思しき少年がぽつりと立っている。

「だめじゃないだろ。いいんだろ」

ほとんど抑揚のない声で、その少年は呟き、そして持っていた本のページを繰る。

「今日中に、この本に載っている分は終わらさなきゃなんないんだから」

ここに来て、僕も声を上げざるを得ない。

「おい、君」

「ひゃ、ひゃい。あふぅっ!」

「いや、君じゃないよ。少年、君のことだ」

「……何か御用ですか」

「御用ってこたあないだろう。僕は近所の大学生なんだけれどね。いったい何をしているんだい」

「見ての通りですけど」

「見ての通り、か。君はいったいいくつだい」

「何ですか、藪から棒に」

「いいから、いくつだ」

「きゅ、きゅうしゃ、きゅうしゃい、ひゃっ、いきゅうぅぅぅぅ!」

「だから君には聞いてないって。そこで君が入ってくるのは文脈的におかしいだろう、常識的に考えて」

「僕は、12歳ですけれども」

プシャッと音がして、少女が潮を吹いた。

僕は人間が音を立てて潮を吹くのをその時初めて見た。

無論、小学生が潮を吹くのを見たのも初めてではあったが。

なんとなくの好奇心で少しそれを舐めてみたが、寒さ故か少女の体質故か、味を感じることは出来なかった。

「で、12歳の其処な少年よ。なんだってこんな寒い中でこんなか弱き乙女に責め苦を与えているんだい」

「なんでそんなことを見ず知らずのあなたに言わなきゃならないんですか」

少年はここで初めて本から目線を移し、僕の目を見た。

「はっきり言って、迷惑です。気が散ります」

やれやれ。

何と言うか、年上だからといって敬意を払わなければならないというような、

昔風の考え方をする僕ではないけれども、

この少年の態度は、少しばかり腹に据え兼ねるものがある。

そもそも小学生と大学生では大学生が偉くて当たり前。

自明の理なのであって、そこに微塵の敬意もないというのはおかしな話である。

「おいおい、君みたいな小学生に」

「中学生です」

中学生だったようだ。

中学生であれば、この態度にも多少の理解は出来る。

中学生というのは難しい年頃だからな。

「君は見たところ、中学生のようだけれども、こんな雪の降り頻るなかで、わざわざ外でSMに興じることはないだろうと思うんだけどね」

「そうですか。結局あなたもこれまでの大人と一緒だ。下らない常識に囚われて核心を見抜けない」

何で中学生のガキにここまで言われないといけないのか。正直理解が追いつかない。

「あなたはどこまでいっても、赤の他人だ。他人なら他人らしく、素通りしていればそれで良かったんだ」

「おいおい、つれないこと言うなよ。袖摺り合うも多少の縁って言うじゃないか」

「他生、ですよ」

少年が如何にして僕の頭の中の誤変換を見抜いたかは定かではないが、どうやら随分と賢しい部類のようだ。

「僕は義妹(いもうと)の為にやっているんです。ほっといて下さい」

「そうか、血は繋がっていないのか」

「何で発音上の区別が無いのに分かるんですか」

「君だってさっきやったことじゃないか。中学生に出来て大学生に出来ないことではないよ」

少年は、キッと睨んできた。

初めてこの少年の表情を見た。

あくまで鉄面皮を貫かれたら流石に手の打ちようがないかと思っていた矢先であったので、一安心した。

「とにかく、」

僕はまだ軽く痙攣している少女の脇に手を差し入れ、抱き抱えて三角木馬から降ろしてやる。

「あっ」

少年は不服さを顕にするが、そんなことはお構いなしだ。

僕は少女を抱き抱えたまま、口でもって右手の手袋を外し、少女の可憐な割れ目に指を這わせた。

これだけ派手にイッた後だ。後戯の一つも必要だろうと思ったのだ。

が、そこでさらに衝撃を受けた。

少女の割れ目、いや、その奥から、微かではあるが、振動を感じる。

「ちょ、ちょっと待てよ、少年」

なんてこった。ローターを入れている。

この少年と少女の間に、どれほどの確執があるのかは知らないが、流石にやり過ぎだ。

僕はつい思ったままを口にした。

「この少年と少女の間に、どれほどの確執があるのかは知らないが、流石にやり過ぎだ」

それを聞いた少年の反応は、しかし予想外のものだった。

「こいつが、こいつの母親が、僕の父さんを、誘惑したんだ」

そう言って、顔をくちゃくちゃにしたかと思うと、あっと言う間に泣き出してしまったのだ。

しまったな、と思った。

軽々しく触れるべき話題では無かったか。

少女の大陰唇を軽く触れながら後悔する。

まあ大陰唇と言っても、二次性徴を迎える前の少女のことだ、控えめな大陰唇ではあるが。

あくまで恐らく、ではあるが、この少年は自分の父親のことが大好きなのだ。

そして、既に亡くした母親のことも。

仲睦まじく暮らしていた両親の記憶。

しかし、父親は再婚した。

あんなに母親のことを愛していたはずの父親が、しかし、何処の馬の骨とも知れない女と同衾している。

それを見てしまったこの少年はどれだけ心を痛めただろう。

ましてや、精力旺盛な時期である。

連れ子である義妹に対して、欲情するな、というのが無理な話だ。

事態を最悪にしたのは、義妹の容姿であった。

9歳ということだったが、平素の彼女は随分と整った顔立ちだろう。

だろう、というのは、今や僕の手マンで正視に耐えないぐらいのアヘ顔になっているからであって、

普段であれば、正に美少女、妖精のような可憐さであることは想像に難くない。

すらりとした体躯に、肘と膝は正しくうっすらと桃色。

まるでもぎたての果物を連想させる瑞々しい臀部。

静かな佇まいではあるが、しかし自己を主張することを放棄したわけではない乳首。

それらは、下手すれば僕でさえこの手で触れたいと思わせる危うい魅力を湛えている。

しかし、そうであっても、少年は、この少女を、妹として愛そうとしたのだろう。

だが、出来なかった。

なぜなら精力旺盛だから。

日に3回くらいの自慰であれば平気の平左で毎日やってのける年頃だ。

だから、正しく愛せないのであれば、どこまでも誤った愛し方をしよう。

悲壮としかいいようのない決意を胸に秘めての責め三昧、しまった。


しまった。

これはしまった。

やってしまった。


またもやどうでもいいことを長々と書き綴ってしまった。

僕が目にした、俄には信じ難い光景というのは、無論この兄妹のことでもないのである。

この兄妹のすぐ頭上の光景こそが、僕が第一の出来事として書き記そうとしたものなのだ。

だが、紙面には限りがある。

いくつかの不可解な出来事と冒頭述べたが、複数の事象に触れる猶予も残されていない。

ここではタバコ屋での出来事のみ記述することとし、

残りについては、またいずれかの機会とさせていただく。


さて、タバコ屋に着いた時点で、既に僕は満身創痍であった。

軽く散歩でもという心積もりで出かけたものの、

「人生一寸先は闇」を座右の銘とする僕としては、随分と油断を重ねてしまったものだ。

やよいちゃん(前述の9歳の少女)に口でしてもらったはいいが、

例のパンツ地獄で息を吹き返した愚息は未だ怒張したままであるし、

焼け焦げた髪の毛からは嫌な臭いが依然漂ったままであるし、

気がつけばやはりあのスリは最終的に僕の財布を掠め盗って行ったようで、

一銭も持っていないという始末だ。

どこをとってもいいところがない。

何よりも、これは今思い返してみてもぞっとするのだが、

たまたま通りかかったあの医者の専門が外科でなければ、とっくに失血死していたことだろう。

これに関しては正に僥倖であった。

はたして僕は、タバコ屋に辿りついたのである。

何とか無理を言えば、タバコの二箱くらいはタダで譲ってくれるだろうと気を取り直し、

そしてついつい、いつもの癖で右手でガラス戸を開けようとしてしまう。

右腕を喪失したばかりのことなので仕方ないが、我ながら情けないこともあったものだ。

無い袖は振れぬではないが、無い腕では開けられぬ、といったところか。

まあ、着用している全ての服の袖は、さっきの猿にくれてやったので袖すら無いのだが。

これからしばらくはこんなことがしばしば起きよう。

件の付き添いの看護婦が言っていた幻肢症についても気がかりだ。

やれやれ。

今日は実にやれやれのし通しである。

頂き物の戦斧を握りしめたまま左手でガラス戸を開ける。

何か引っ掛かりがあったが、取り敢えずは開けられた。


と。


ビンッ。ビンッ。ビンッ。ビンッ。ビンッ。ビンッ。ビンッ。


不意にそんな音がして、視界のそこかしこで、何か、糸の様なものが踊ったように感じた。

何であろうか。

こういう趣向の歓待を、いつもここではされていたであろうか。

首を捻りつつ店の中に入ると、

婆さんが死んでいた。

店番の婆さんが死んでいた。

店番の婆さんが、七人が七人とも死んでいた。

ただでさえ足の踏み場も無いような狭い店内が、更に狭く感じる。

しょうがないので、婆さんを踏みながら自分と同居人のタバコを選び取り、

一番近くで死んでいる婆さんに声をかける。

「あのー、すいません。これ、いいですか」

しかし、返事は無い。

もしかすると最期の力を振り絞って「880円」と言ってくれるかと淡い期待を抱いていたが、

その上で、あ、財布がないや、という白々しい芝居でどうにか切り抜けようと思っていたのだが、

やはりそこは何の変哲もない婆さんの死体だ。返事をしてくれるはずもない。

まいったな。

これは流石に想定外だ。

もしこのままタバコ二箱を持って帰れば、それはただの盗難である。

内定を取った身分である以上、面倒事は出来れば避けて通りたい。

ふむ。


と、ここで、僕の頭にある一つの仮説が浮かんだ。

それを裏付けるべく、また婆さんを踏み踏み、奥へ入る。

勝手口、風呂場、廊下、あらゆる扉、窓を検分し、

はたして僕の仮説が正しかったという確証を得ることが出来た。


密室殺人だ。


このタバコ屋は、僕がここに辿りつき、ガラス戸を開けるまでは密室だったのだ。

下手人は、そもそもこの世に初めから存在していなかったかのように、姿を消した。

いったいどうやって。

まず叙述トリックの線を洗ってみよう。

いや、その可能性は限りなくゼロに近い。

なぜなら、誰もこの事件を叙述していないから。

だとすれば、犯人はどのようなトリックでもって、この七人を殺しせしめたのであろう。

そもそも動機は?

見ると、とくに争った形跡も無い。

ということは、顔見知りの犯行。

怨恨、ということであろうか。

まずはこの七人の婆さんの親類筋を洗ってみるのがいいだろう。

それでヒットしなければ恋愛関係の聞き取りか。

あるいは、全くの見ず知らず、通り魔的な犯行であることも視野に入れておく必要はあるだろう。

初動のミスは取り返しの付かない事態を招く。

一辺倒の膠着した思考でもって、事の真相を断ずるのは愚の骨頂である。

となれば、緊急配備を府下全域に敷き、血も涙も無い殺人鬼による次なる凶行を未然に防ぐことも忘れてはならない。

こういう事態になれば、もはや彼と連絡を取ることも已むを得ない。

先々月の大捕物でも、随分と彼には負担をかけてしまったので、

(伝え聞くところによれば、懲戒免職もあり得たという)

またもや前代未聞の難事件に彼を巻き込むのはいささか気がひけることではあるのだが。

警視庁捜査一課、現在は左京区役所福祉課に席を置く、

吉田の昼行燈こと、後藤田浩二。

言っては何だが、やはり、彼には血生臭い現場こそがお似合いだ。

僕は携帯を最初右手で取り出そうとし、結局左手で取り出し、

そして登録されている彼の番号を呼びだそうとした。

しかし、そこに彼の番号は無かったのだ。

何故なら、僕にそんな知り合いはいないのだから。

当たり前だ。

僕は一介の大学生であり、そんな元警視庁捜査一課のなんだか分からない知り合いがいるはずはないのだ。

ついついテンションが上がってしまって、自分の妄想と現実の区別が付かなくなることが諸氏にもあるだろう。

そんな時は、病院に行くか、首を縊るべきだ。

無辜の市民たる僕から言わせてもらえば、そんな危ない妄想を垂れ流す存在は迷惑この上ない。


さて、どうしたものかな。

これでは八方塞がりだ。


そこで、改めて店内を見まわし、僕は驚愕した。


さあ、ついにこの文章の核心だ。


何の気なしに見た婆さんの表情を見て、僕は驚愕したのだった。


婆さんは、笑っていた。

婆さんは、七人が七人とも笑っていたのだ。


何故。

いったい何故。

殺されるようなことがあってなお、笑っていられるのだ。

もとい、殺されてなお、笑っていられるのだ。


しかも、「お」の口を空けて。

これは最早、大笑いと言っても過言ではない。

せめて、安らかな笑みを浮かべていろよ。


いや、たといそれが安らかな笑みであれ、僕にはとうてい信じられない光景だった。


殺されて、

それでも、

笑って。


殺されて、なお笑っていられるというのは、僕にとってどうも理解の埒外だ。

まったく不思議なこともあるものだ。

僕は持っていた戦斧でタバコ屋のレジを破壊し、880円だけ取り出すと、

「これ、お代です」と言って店を後にしたのだった。

ラブレター

| 07:25 | ラブレター - 石麻二芯の文章読本 を含むブックマーク はてなブックマーク - ラブレター - 石麻二芯の文章読本

あなたにだけはちゃんと話したいと思う。

あなたにだけはちゃんと知っていてほしいと思う。

全てが手遅れだったとしても、だから私は手紙を書きます。


そもそもの事の起こりがなんだったのか。

これは、……いきなり難しいね。

あなたと私が出会ったことがそうなのかもしれないし、

あるいは、私が誰かと出会わなかったことなのかもしれない。

初めからそうなるように誰かが仕組んでいたとして、

その誰かっていうのは、いったい誰なんだろう。


おっと、いけない。

あんまり根本から話を始めると、とても終わりそうにないや。

だから、最低限のことだけ書けたらいいやと思って、書きます。


いつもの私を思い出して、あなたは、そんなことないと思うかもしれないけれど。

でも、本当です。

とても、

とても悔やんでいます。


こうやって私から手紙が来たことをきっと驚いていると思うけど、

私のことながら、らしくないという自覚はあるけど、

(あ、でも、驚いているのはもっと別の要因かもね)

でも最後まできちんと読んで欲しいな。


ひとつだけ、関係の無い話をすることを許してほしい。


先週の土曜日、つまり、あなたが最後に私の部屋に来た日。

とても天気が良かったね。

最近は曇の日や雨の日が多かったから、

今日は久々の洗濯日和だなって思った。

洗濯機を回そうと思ったらね、洗剤を切らしていたのを思い出した。

出鼻を挫かれて、いつもの私ならそのままブー垂れて不貞寝するところだったけど、

何となくその日は、そうしてしまうのも勿体無いようないいお天気で、

もしかしたら、お天気はあまり関係が無かったのもかしれないけど、

とにかく自転車に乗って、近くのスーパーに洗剤を買いに行きました。

本当はもっといろいろ買っていこうかな、とも思ったんだけど、

天気もいいし、じゃあ、帰り道はあちこち道草して帰ろうと思ったから、

結局洗剤だけしか買わなかった。

そういえば、あの洗剤、あの後あなたが使ってくれたみたいで良かった。

きちんと落ちていればいいけど。


帰り。

よく二人でデートした公園で、日向ぼっこでもしようかと思ってたの。

だけど、公園に辿りつく直前に、いきなり自転車のチェーンが切れちゃった。

とってもショック。

何でいきなり。

正に晴天の霹靂だよ。

結局、何だか悲しくなっちゃって寄り道はしないで、家まで帰ったわ。

それから本当は洗濯を始めようとしたのだけど、

なんだろうなあ。

なんでこんないい気分に水を差されないといけないのかなあ。

って。

あなたのよく知ってる、私の悪い癖が出てしまって。

結局、あなたが部屋に来るまで、ずっと布団にくるまってた。

本当は、だからね、あなたがあの日部屋に来る前に、

もっといろいろやっておこうとは思っていたんだよね。

洗濯もそうだし、

あと、手紙を出そうと思ってたの。

同級生の、今だから白状するけど、昔付き合っていた女の子に、

子供が生まれたんだ。

おめでとうって、手紙を出すつもりだった。

もしもあなたが今もきちんと逃げおおせているようだったら、

私の代わりに手紙を出しといてくれると、とてもうれしいよ。

宛名はもう書いてあって、何かの間違いで持って行かれていない限り、

机の引き出しの二番目に入れてあります。

「おめでとう」だけ書いて出してくれたらそれで十分だから。


なんだろうね。

何となく予感めいたものが、今になって思うと、あったのかもしれない。

私って、すごく筆不精だし、出不精だし、他にもいろんな不精なところがあるのに、

あの日は、何となくいろいろやろうと思ってたんだ。

結局、不貞寝しちゃってたけどさ。


あ、そうそう。

関係のない話のことだけど。

うっかり読み流していないことを祈るけど、私、昔女の子と付き合ってたんだ。

高校の頃。

ころころした可愛い子で、男子からも人気があったみたい。

でも、ふとしたはずみで付き合うことになったんだ。

その子はバレー部で、私は陸上部。

体育会系の部長連絡会議みたいなのがあってね、

私たちはクラスが別だったから、初めてそこで出会った。

それから時々話をするようになって、

家が近くだったのが分かって、

同じ大学を目指してるっていうことが分かって、

一緒に勉強をすることになって。

ある日、あの子の家で勉強していたら、

どういう流れだったか、もう思い出せないけど、

互いの胸を揉んでみようってなって。

最初はお互いにおっかなびっくりだったんだけど、

段々、頭の中がぐちゃぐちゃになってきちゃって、

自分が何をしてるのか、どんどん分からなくなって、

そしたら、多分、彼女の方からだったと思うけど、

私のおっぱいを舐めたのね。

むずがゆいんだけど、

信じられないくらい気持よくなって。

それはブラの上からだったんだけど、

もうたまんなくなっちゃって、

直接舐めてほしいって、おねだりなんかしちゃって、

気付いたらもうあれよあれよという間に。

あの子が部屋に鍵をかけた瞬間の顔は、

たまらなく可愛かったよ。

あんなに可愛い女の子の顔は、

私はあれ以来、二度と見ることがなかったなあ。


だから、あなたが、多分、ちょっと気にかかっていたであろう、

「あなたが最初の男の人」っていうのは、

そういうわけだったんだ。

引っかかってたら申し訳ないかなあ、と思って。

もう今となっては、どうでもいいかもしれないけど。

もしも心が少しでも楽になってたりしたらいいけど。

逆に引かせてたらごめんね。


さて。

本題に入ろうと思います。


結論から言います。


私はあなたのことを許します。

もうとっくに許しています。

ううん。初めから恨んですらいない。

だからどうか自暴自棄にだけはならないで欲しい。

それであなたが不幸になったりしたら、

そうなったら私は悲しいよ。


正直なところ、私は私の人生について、

もう実際のところ、結構諦めていたのだし。

こうなってしまったことは、悲しいことではあるんだけど、

悲しいことなはずなんだけど、

だけどどこかで、こうならざるを得なかったんだろうなって、

達観してる自分がいるの。

仕方なかったんだよ。

しょうがないんだよ。

だから、あなたが自分のことを責めたり、

あなたが悔やんだり、

あなたが自己嫌悪に陥ったり、

そんなようにならないようにだけ、

私は祈るよ。

あなたの心の痛みは、私が引き受けた。

そういうことにしよう。


そう。

やっぱり、何となくの予感はあったんだ。

あの日、あなたが部屋に来て、

そしてこういうことになるんじゃないかなって予感が。

なんでだろうね。

だからさ、別に私、食ってかかったりもしなかったでしょ。

なすがまま、なされるがまま、受け入れたでしょ。

いろんな人に迷惑はかけて来たけど、

済す時の閻魔顔だけはしないような人生を送るよう心がけてはいたから、

だから、いっぱいのものを私にくれたあなたに、

そしてあなたが決めたことに、何も口を挟まないように、

あなたのすることに、手向かわないように、

あなたの思うようにしてくれたらいいやって、

そう思ったんだ。


あの日、あなたの顔を見た時、もう全部、分かったんだ。

だから逆に言えば、私にはどうとでも出来た。

なんなら泣き叫んでもよかった。

なんなら逃げ出してもよかった。

なんなら返り討ちにしてあげてもよかった。

さすがにそれは無理か。

でも、しなかった。

なんでか、分かってくれるかな。


やっぱり私は、それでもあなたのことが好きで、

あなたも私のことを好きでいてくれてるでしょう。

それだけでもう十分なの。

だから、こういう結末になっちゃって、

あんな終着点に辿りついてしまって、

そりゃあ世間の人は、可哀相だ、とか、

ひどい話だって思うかもしれないけど、

そんなのは、完全、余計なお世話。

そうだよね。

私とあなた以外の人には、そこしか見えてないから、

そこしか知らないからそう思うだけであって、

私とあなたにとっての真実って、そうじゃないものね。


生まれ変わりをあなたは信じる?

私は信じない。

生まれ変わりたいとも私は思わない。

昔は思っていたと思う。

でもあなたと出逢って、生まれ変わる必要なんてないと思った。


私はまた私に生まれたいよ。

そして、またあなたに出逢いたいよ。

私が私だったから、あなたに出逢えたんだ。

あなたに出逢えて、

私が私であったことをどれだけ誇ったか、

きっとあなたは知らないと思う。

だから、

新天地に、どれだけいい男がいたところで、

どれだけ可愛い女の子がいたところで、

あなたとまた出逢えるのを未練がましく待っていたいと思う。


愛してるよ。

大好きだよ。


きっと誰も信じてはくれないだろうけど、

それに説明することも、説得することも、

私は大いに放棄するけど、

放棄せざるを得ないけど、

でも好きだよ。

とても、とても、好き。


これだけのことを最後にあなたに伝えることが出来なかったのが、

私の最後の後悔です。

最後の最後まで、きちんと伝えることが出来なかったけど、

最後の最後の最後には、何とか伝えることが出来たら、と思っているの。


だからこうして手紙を書きます。


この手紙があなたに届くことを、私は心から願っています。


さようなら。

ありがとう。






追伸

えーっと、殺される時のことなんだけどね、

やっぱり棒でメッタ打ちっていうのは勘弁して欲しかったなあ。

私が痛い思いをするのは、まあ、構わないんだけど、

いや、もちろん、痛くないに越したことはないと思うけど、

でもやっぱりよくない殺害方法だったんじゃないかなって思うよ。

お母さんが、ぐちゃぐちゃになった私を見た時にすごくショックを受けていたし、

まあ、私自身、さんざんお母さんに不孝を重ねた手前、あんまり強くは言えないけど。

あと、ちょっと引いた。

グロいっす。

あれってやっぱり残虐な殺し方だよ。

裁判員の心象もよくないと思う。

担当の刑事さんも吐いてる人いたしね。

あと、大家さんにも申し訳ないよ。

殺人があった部屋ってやっぱり借り手がつかないような気がするもん。

でもまあ、しょうがなかったんだよね。

うん、しょうがない。

しょうがないよ。

じゃあね。

今度こそ、さようなら。

sasuke8sasuke82011/01/08 08:59こちらこそ、よろしくお願いします。
ほめていただきありがとうございます。すごく嬉しいです!
朝飯抜太郎でもsasuke8でも適当に呼称してください。

部員が増えてきたので、自由参加の創作企画的なものもできたらいいですねー。

MiriamMiriam2012/09/30 20:12That's an astute answer to a tricky quseiton

ldwzhdujhlmldwzhdujhlm2012/10/01 20:45tKqpsT <a href="http://ossfmxxooymi.com/">ossfmxxooymi</a>

kmjkyonjukmjkyonju2012/10/02 01:54zM58MR , [url=http://qxofpggejsil.com/]qxofpggejsil[/url], [link=http://wclabmtacfsg.com/]wclabmtacfsg[/link], http://sngabjoqpcqr.com/

skrykkpffskrykkpff2012/10/02 17:11qzMww7 <a href="http://rudnrnmdoumg.com/">rudnrnmdoumg</a>

ivxfpvmseivxfpvmse2012/10/03 21:00rai8On , [url=http://lqesfpcgqfgt.com/]lqesfpcgqfgt[/url], [link=http://jusymtvbkqsg.com/]jusymtvbkqsg[/link], http://axxtujisxobo.com/