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2009/08/18 (火)では何が心を救ってくれる?

毎日が世紀末、迫りくる未来

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 リンダキューブというゲームを久し振りにやっているのだが。

 1999年以前の作品は、世紀末をテーマにした作品が多い。思えば、エヴァだってそうだ。大予言(の解釈、翻訳)があっていたのかは知らないけど、やはり、ノストラのダムさん、ノストラダムスの影響が強かっただろうな。

 1999年から、もう、10年も経った。1999年以前と比べてみると、多くは、最近のテンションのせいかもしれないけど、”世紀末”というのは、実は心の大きな拠り所だったのじゃあないか、と。ルーチンワークの仕事をしていると、「これっていつ終りが来るのかな?」とか思って、仕事をしてしまう。結局、何も起きなかったけど、なんとなく、1999年という、一つの終わりを意識してたのじゃあないかな。


 2000年問題は、プログラムの節約だとか、西暦があーだこーだとかじゃあなくて、”世紀末”を失った事だったのじゃあないかな。10年経って、じわじわ思えてくる。


 世紀末だとか、世界の滅亡というネタは、もう、いまいちピンと来なくなっている。


 今から世紀末って言われても、2099年とかよく分からないし、2999年とかもっとよく分からない。今、2099年の世界滅亡を説かれても、科学技術の進歩だとか、クリーンエネルギーだとか、ナノテクノロジーだとかで、全部解決してくれそうだ。そして、何より、どんだけ長生きをしても、多分、生きてない。


 1980年生まれの僕は、2040~60年くらいには死ぬのだろうな。今生まれてきた子供だって、2099年に生きているかは疑わしいものだ。2030年くらいに生まれた子どもは2099年まで生きているかな。2070年くらいになったら、ノストラダムスの大予言を掘り起こしたりして(例えば、「100年ずれてた!」とか)、世紀末の話題で盛り上がるのだろうか。


 その時には、もう僕は生きてない。


 話が色々になっちゃたけど、ひとつの「終わり」というものを意識したいのだと、最近、考えているのだと思う。就職したら終わり、だとか、結婚したら終わりだとか…死んだら終わり、なのだろうけど、まだ、死ぬ事とかよく分からない。20代も後半になると、半端に色々分かった風な気がしているから、もう、政治も宗教も、僕に明確な答えは与えてくれないだろうな。


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 上の絵を描いてから、そんな事を考えました。絵自体は、私の脳内を過ったイメージです。CGとか出来る人ならば、奇麗に再現出来るだろうな。


 思えば、今年は、2000年代一桁の最後の年だから、世紀末みたなものだな。毎日が世紀末だったら、よいのにな。一日臨終なんて言葉もありますけども。