病むに病まれてビラの裏 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012/01/17 (火)カレーなる華麗の物語。

叩度昔話!カレー屋のナンディさん(日本語訳)

| 03:30 | 叩度昔話!カレー屋のナンディさん(日本語訳) - 病むに病まれてビラの裏 を含むブックマーク はてなブックマーク - 叩度昔話!カレー屋のナンディさん(日本語訳) - 病むに病まれてビラの裏 叩度昔話!カレー屋のナンディさん(日本語訳) - 病むに病まれてビラの裏 のブックマークコメント

 昔々、叩度の南部に、ナンディという1人の若者がおりました。彼の両親は、彼が子どもの頃に他界し、育ててくれた祖母も少し前に他界してしまったので、ナンディは、本当に1人の若者でした。

 ナンディは、両親が遺してくれた、曾祖父の代から受けついできた田畑と、数頭の牛を世話をして、なんとか、日々の暮らしを過ごしていました。貧しくはありますが、月に1度くらいは、焼き肉を食べにいける…そんなささやかな暮らしです。なお、叩度では牛は神聖な動物なので、食べるにしても、全ての部分を頂き、骨、皮、角、ヒヅメまで、何一つ無駄にはしません。ナンディのパンツも、牛の皮をなめしたものでした。

 ナンディは、朝起きると、朝ご飯を食べ、先ず、庭先の家庭菜園の水やりを行い。お弁当を作ったら、畑に出かけます。水やり、草取りを手早くすませ、草は、牛に食べさせます。勿論、それだけでは足りませんので、草刈りにでかけ、そして、牛たちに食べさせます。そして、その後、糞を集め、畑に運び、堆肥にするために、積んでおきます。

 だいたい、それで夕方近くになり、家に帰ります。家族がいれば、分担してできるのだけど…とナンディは、しばしば考えますが、考えても仕方がないことなので、すぐに別のことを考えます。ナンディの日々の楽しみの一つは、晩御飯にカレーを作ることと、食べることです。朝昼は、時間の関係でモヘナ(パンのような保存食)とか、生野菜や、干し肉等々ですますことが多いのですが、晩御飯は、ゆっくりと時間をかけて、温かい物が食べれるのが、嬉しいのです。

 叩度も、夜は、結構、冷えます。

 干し肉を水で戻しながら、野菜を切り、祖母から受け継いだ一族に伝わるスパイスを調合しながら、毎日、自分なりのオリジナリティを模索する日々。今日は、ちょっと辛かったから、明日はティン(スパイスの一種)を多めにしてみようか…そういうことが、ナンディの楽しみの一つです。

 自分で作って、自分で作る独りカレーは、とても美味しいのですが、一つ悩みがありました。それは、ちょっと量が多くなりがち…ということでした。勿論、独りで食べるのですから、少なめに作るのですが、それでも、「美味しく作るにはこれくらいの量は」というラインがあります。ご飯も、米と鍋と水の関係で、2ペナ(1合くらいの量)くらいは、炊かないと駄目で、カレーも、ご飯も、余りがちです。

 高性能な冷蔵庫もありませんので、次の日の朝ご飯に残そうにも、腐ってしまうことがあります。なので、勿体ないので、残さず食べるのですが、最近は、ちょっと胃もたれ気味。晩御飯の後は、ムドバゲン(胃薬・生薬)を飲むのが、日課になってしまいました。


 ある夜、いつものようにナンディがカレーを作っていると、お隣さんのマンディがやってきました。ガド(回覧板)を持ってきてくれたのでした。マンディと、ちょっとした世間話をしていると、「ぐぅ」とマンディのお腹が鳴りました。二人は笑ってしまいました。なんでも、お昼ご飯を少し遅めに食べた関係で、晩御飯を食べるタイミングを逸してしまったみたいです。

 ナンディは、マンディに、晩御飯を食べていくよう誘いました。余らせていて困っているとは言いませんでした。二人で食べる分には、少ない量だったので、自分の分は小盛りにして、マンディの分は大盛りにしてあげました。マンディは、ナンディのカレーを美味しく頂きました。そして、とても、褒めてくれました。

 それから、マンディは、ちょくちょくナンディの家にやってきては、晩御飯を食べていきました。ナンディは、マンディが来そうな日は、多めに作っていたりしたのですが、それが空振りに終わると、「ひぃ」と言いながら、多めのカレーを食べるしかないようになりました。

 ある日、マンディは提案しました。曰く、ナンディのカレーが気に入ったから、毎日でも食べたい。自分は、仕事で夜遅くなることが多いから、それだと非常に助かる。これまで、ちょくちょく食べさせてくれた分と、勿論、今後は、相応のチン(通貨)を払うからどうだろうか。と。

 ナンディは、その提案を受けました。別に、チンが欲しかった訳じゃあないのですが、自分の味を褒めてくれたのは、嬉しいし、何より、カレーは余りがちだった…ということがありましたので。ナンディは、これからは、自分独りのカレーじゃあなくなった、と、心を引き締めました。


 それから、ナンディの生活は少しだけ変わりました。夕方までは、いつものように畑の仕事と、牛の世話をして、夕方からはカレーを作って、マンディと一緒に食べました。生活が、少しだけ、楽しくなりました。マンディが払うチンは、元々ナンディの生活は成り立っていたので、カレーの味をよくすることに使いました。新しいスパイスを買ったり、野菜や干し肉を買ってみたり。野菜と干し肉は、自分で作った物が一番美味しかったのですが、スパイスは、今まで、聞いたこともない物があったので、ナンディのカレーの味に奥行きと、深みが加わりました。

 一度、町内会のフグラ(主に児童のためのお祭りのようなモノ)で、自慢のカレーを振る舞ったのですが、それの評判がとても良くて、ナンディは、とても誇らしい気持ちになりました。ただ、それをキッカケにマンディのように、ナンディのカレーを食べたい、という人が、徐々に増えました。

 だいたい8人前くらいまでは、そんなに、手間は変わらなくて、材料費等々の関係で、チンは、少しずつ増えてきました。ただ、それ以上に、人数が増えた頃から、様子が変わってきました。量を作るには、やはり、時間がかかり、そのために、畑の仕事や、牛の世話が、疎かになりがちでした。牛に草を食べさせても、糞を畑まで運ぶ時間がない。牛舎の回りは、糞だらけになりました。明日やろう…と思っても、その明日は、いつまでもこないのです。そして、いつしか、糞の掃除をする時間もなくなり、畑は、肥料が足りなくなり、作物の元気がなくなりました。


 ある日、ナンディが牛舎に行くと、牛が一頭、死んでいました。ナンディは、その場に、泣き崩れてしまいました。牛を解体し、肉と、それ以外に分けました。肉も痩せ、骨も痩せ、とても、人様に食べてもらう味には、と、ふと、思った時、ナンディは、モゲラ(牛刀)の柄で、自分の、額を強く打ちつけました。その晩は、友人達に事情を話しました。しばらく、カレーを作りは、お休みすることを伝えたのです。友人達は、しぶしぶと、近所の居酒屋に行きました。


 このままじゃいけない。次の日から、ナンディは、畑の仕事と牛の世話をやりながら、考え出しました。自分のカレーを求めてくれる人がいるのは、嬉しい。だけど、それで、牛や畑の世話が疎かになれば、ギリゴ(本末転倒)だ。ナンディは、強い男でしたが、それでも、少しだけ目に涙が浮かぶことがありました。

 なんとかしなければいけない。ナンディは考えましたが、答えはでませんでした。ある晩、実は、みんなに内緒で通っていたマンディに相談しました。すると、マンディは聞きました。ナンディは、カレーを作りたいのか、牛や畑の世話をしたいのか、どちらなのか、ということです。ナンディは、少し考えて答えました。彼は、牛や畑の世話をしたいのです。

 次にマンディがしたことは、提案です。ナンディのカレーを教えて欲しい。そして、ナンディのカレーの仕事は、自分が引き受ける、と言うのです。そこで、ナンディは、カレーを作るのも仕事だと、今更気付きました。マンディは、外に働きに出ているので、ナンディのような牛や田畑という財産はありません。なので、その分、フットワークが軽いのです。


 次の日から、マンディのカレー修行が始まりました。畑と牛の世話は、二人で行い、いつもより早く家に帰った後は、カレーの修行です。しばらくの間、マンディは無職なのですが、カレーで蓄えたチンがあったのと、ナンディの暮らしぶりは、そこそこ余裕のある貧しさだったので、そんなに、切迫したモノでは、ありませんでした。

 もともと、マンディの筋が良かったのと、ナンディが手伝っていたのもあって、ナンディのカレー屋は、割とすぐに再開できました。ブームが去る前に再会できて良かったな、と二人は思いました。やがて、マンディ1人でも、カレーを任せられるようになりましたが、その分、お客さんも増えたので、また、考えなければならなくなりました。

 二人は、人を雇うことにしました。お客さんが増えた分、チンには、余裕があったので、人を雇っても大丈夫という判断でした。牛と畑の世話は、夕方までナンディでやり、カレーの方は、マンディとガラーナ(アルバイト、パート、もしくはフリーター)に任せました。ナンディは、マンディとガラーナを二人に任せるのは、少し、心配だったのですが、その心配は杞憂でした。マンディは、ナンディの期待を裏切ることなく、良いカレーを作り続けてくれました。ナンディは、一族秘伝のカレーが、自分の手を離れたことが、少し悲しかったのですが、これからのことを考えると、ワクワクしました。

 不思議なことに、人を雇えば、お客さんが増え、そして、チンも貯まり、また、ガラーナを増やしました。ナンディの家では、手狭になってきたので、マンディの家を改装して、店舗に変えました。看板には、「カレー屋のナンディさん」と書きました。ナンディは、本当は、二人の名前を屋号に入れたかったのですが、叩度では、『マンナン』という言葉は、「穢れき者は地に堕ちよ」という意味があり、また、『ナンマン』は、「犬にでも喰わせろ」という意味だったので、音の並び的に二人の名前を、看板に乗せることは、ためらわれたのです。


 それからの数年は、二人の生活に大きな変化はありませんでした。ただし、お客さんは、増え続け、行列ができるようになり、営業時間を延ばしたり、色々と、工夫をしましたが、徐々に、来たけど食べれないお客さんが、ちょろちょろ出るようになりました。

 なんとかしないといけない。ナンディとマンディは、そう考えるようになった頃に、丁度、マーカ(正社員)に昇格したガラーナの1人が提案してきました。是非、モンナメペンチョ(のれん分け)させて欲しい。と。最初、ナンディも、マンディも、快く思わなかったのですが、マーカが作ったカレーを食べて、また、彼の情熱にも負けて、モンナメペンチョを許しました。勿論、相応の修行をして、また、新店舗が出た後も、ちょくちょく、ナンディと、マンディは、様子を観に行きました。

 また、大きく味が変わると、店の印象にも関わってくるので、スパイスに関しては、本店の集中製造として、また、月に1度は、マーカとの相談も怠らないようにしました。そうした中で、一つの流れができて、「ナンディーのカレー屋さん」は、次々と、新店舗を増やしていきました。どの店も、好調で、また、味が落ちることもなかったので、マンディは、満足そうでしたが、ナンディは、少しだけ気がかりがありました。

 それは、例えば、利益率が落ちている…ということです。スパイスを集中製造している関係で、各店舗にスパイスを届けるにも、人出がいるようになり、新しくガラーナを雇ったりしていたのですが、それ以外の部分でも、カレーを作り、食べてもらう以外の部分で、チンが必要となってきたのです。衛生面や内装に力を入れたり、色々なことが必要となっていたのでした。

 もともと、ナンディは、チンにそんなに執着はなかったので、利益率自体は、そんなに、気にしてなかったのですが、そういう部分で油断すると、やがて破綻をもたらす…それは、あの日、牛が教えてくれたことなのです。自分は、多くの人と関係している。マンディは、勿論、そうですが、既に沢山のガラーナやマーカ、有能なマーラ(店長)達…それらの命を預かっている…そう考えると、せめて、頭で考えられることは、精一杯しなくては、いけない。ナンディは、そう思いました。

 その思いをマンディに伝え、二人は、来る日も来る日も考えました。マーラにも伝え、ガラーナやマーカにも伝えて、何度も、会議を行いましたが、答えはでません。また、人それぞれ参加意識の違いにナンディは、歯がゆさを覚えたのですが、人は、そんなものだと、マンディは、諭してくれました。


 ずっと考える日々が続きましたが、ある日、ナンディとマンディの元に1人の男が現れました。その男は、オサセ(スパイスを取り扱っている大きな会社)のザギーシ(営業部員)でした。いつも、スパイスを買っているので、新商品の提案かな、と二人は思ったのですが、それは違いました。ザギーシ曰く、経営のお手伝いをさせて欲しい。とのことでした。

 二人は、最初、ザギーシのことを怪しみましたが、とりあえず、話を聞いてみることにしました。ザギーシが言うには、先ず、スパイスの調合を我々に任せて欲しいとのこと。そうすることで、均一な味を大量に、そして、定期的にお届けすることができる、ということでした。また、調理や接客をマニュアル化することで、各店舗のサービスと質の均一化をはかる。材料の一括調理。フランチャイズ化。話は、多岐に渡りました。

 最初、マンディは、激しく反対をしていました。均一化とは、個性を消すことであり、マニュアル化とは、個々の能力の否定であると。なので、最初は、ザギーシを家から追い出し、塩をまきました。しかし、ザギーシは、めげずに、何度も足を運び、また、各店舗にも顔を出しているようです。マンディは、徐々に、ザギーシのことを認めだしました。

 その間、ナンディは、静かに考えてました。祖母の言葉を思い出していたのです。それは、かならずしもクオリティーとオリジナリティーは常に連動している訳ではない。同じ物が沢山ある、量が生み出す説得力、価値観もある。それが、多くの人を幸せにするためなら、いつかは、考えなければならない。多くの人が、その考えに至ることはないけど、もしも、そこに到達できたら、きっと、それは、一つの幸せである。そういうことでした。

 ナンディとマンディは、ザギーシの提案を受け入れ、オサセを協力会社とすることを選びました。原材料の一括仕入れ、経営の標準化等々により、より多くのチンが集まるようになりました。利益率という意味では、二人でやってた頃に比べると落ちているのですが、それは、仕方がないことなのかな、と、ナンディーは考えました。ガラーナも、マーカも、マーラも、オサセも、チンで繋がっていると思えば、利益率などというモノは、自分本位な考えでしかない、と思ったからです。勿論それは、怠慢や油断ではなく、ナンディも、マンディも、自分達のカレーを届けるために、努力の日々を送りました。


 こうして、「ナンディーのカレー屋さん」は、叩度北部にも開店して、叩度全土に広がりました。マンディは、もう仕事として、カレーを作る立場にいれなくなり、色んな店舗を回っています。ナンディは、どれだけ忙しくなっても、先祖から受け継いだ、畑と、牛の世話を続けました。彼のまわりには、有能なマーラ達もいましたので、地元の店舗は、ほぼ任せられる感じでした。ナンディは、地元の店舗をまわり、そこで、夕飯を食べました。自分でカレーを作らないのは、少し、悲しい気持ちになるのですが、マンディが帰ってきた日は、二人でカレーを作るようにしています。

 マンディは、いつか自分達のカレーを遠くの国の人も食べてくれたら、と話します。ナンディは、それを楽しそうに聞いていました。叩度以外の国に出店するには、色々とハードルが高いのですが、それは、現実可能な範囲にあることは、二人とも、感じていたことでした。



 そうして、時は流れ。ナンディとマンディは、夕方まで畑と牛の世話をして、夕方からカレーを二人分作り、二人で食べます。「ナンディのカレー屋さん」のポチム(社長)は、既に、マーラの1人が受け継ぎました。くしくも、それは、二人が最初に雇ったガラーナの息子さんなので、不思議なものです。二人は、カチス(会長)として、一応、経営に参加してますが、あまり、あーだこーだと、口出しはしていません。二人が築き上げた精神は、確実に、受け継がれているからです。

 二人の元には、沢山のチンがあるけれど、最終的にいきついたのは、二人の最初の暮らしでした。案外、人生は、そういうモノかな、と、二人は思います。ナンディとマンディは、これからも、ずっと一緒です。

 ナンディは、自分が若い頃に死なせてしまった、あの牛の月命日になると、丘の上のお墓に行きます。そこで、あの牛に謝り、そして、次にお礼を言うのです。あなたの命は、私の中で生きています。あなたのお陰で、私は、大切なことを知りました。これは、自惚れじゃあないですが、私は、多くの人を幸せにすることができたと思います。また、あなたに教えてもらった大切なことは、多くの人に受け継がれ、そして、今後も、受け継がれていくと思います。全ての命は、繋がっている。本当に、すみませんでした。そして、ありがとう。

 ナンディの月に1度のお墓参りも、生涯続けられました。


 ナンディとマンディが食べていたカレーは、私達が食べているカレーとは、少し違ったカレーなのですが、カレーを食べた時に、ナンディとマンディのことを思い出してあげてみて下さい。


  • あとがき

 これは叩度の昔話で、当然、叩度語で書かれています。なので、翻訳にあたり、印象的な単語のいくつかは、原文の読みを片仮名で表記させて頂きました。また、物語を一部、推敲、改変、しました。多くはカットです。例えば、マンディがナンディのカレーを食べた後に、二人は、ホモ・セックスを行ったことや、ナンディは、実は、嫉妬深い男で、最初のガラーナを雇った時には、マンディとガラーナの関係に嫉妬の炎を燃えあげ、刃傷沙汰になります。結局は、マンディは潔白だったのですが(笑)。脇腹を縫うことになりました(笑)。また、その癖、自分は、ザギーシの男に、ちょっとだけ良い感じになったりして、今度は、マンディが焼身自殺をしようとするのが、中盤の盛り上がりでした。

 本当は、それらの恋愛要素がメインの昔話で、ラストシーンも(原文では)ナンディとマンディが、しおれた陰茎を兜合わせさせる、という内容だったのですが、児童文学には相応しくないという大人の事情でカットされることになりました。「事情」って漢字を反対にすると「情事」ですよね(笑)。

 興味を持たれた方は、是非、原文をお読みください。「マンナン・ナンマン」というタイトルで、民明書房から発売されております。よしなに。