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2012/04/10 (火)昔、性的人間と(はてブで)言われたことがある。嬉しかった。

小説の着想と下ネタ化する流れと本意の霧散。

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 昨日書いた下ネタ小説に、部長が、はてブしてくれた。

id:sasuke8 創作, 歯車的, わるいゆめ 素晴らしい。悪用の1パターン。F先生は絶対描かない。 2012/04/09
はてなブックマーク - 桃太郎印の好色一代超人 - 病むに病まれてビラの裏 - 文投げ部

 書いた小説の感想まで、書いた本人の責任のはんちゅうだと思うし、本意が伝わってないなら、筆者の実力の問題のような気がする。書いた本人の意見が述べられるのが、Web2.0に至るまでもなく、最近の傾向らしい。

 なので、その小説をどのように着想して、どのように発展させ、書いたかを考えてみたい。


着想

 先日、木屋町京都市)辺りを歩いている時に、「マンガとか小説を書く時に、昔話をパロディーするのは、一つの確立された手法だな。」とか考えて、「その基本は『桃太郎』だな。」と思った。次に、某国民的作品に登場する秘密道具「桃太郎印のキビ団子」が思い浮かぶ。「あの作品のアイテムが現実に紛れ込んだら…」というのも、一つの確立された手法だな…と考えた。

 桃太郎印のキビ団子は、恐竜とか、動物を手なづける道具。それが現代に紛れ込んだら…というようなことを考えて、導入部を考えると・・・

目の前に黒い楕円が現れたと思ったら、そこから、何か青いのが転がり落ちてきた。そうすると、黒い楕円…中空に開いた穴…の中から、小学生くらいの子どもの声がして、青いのは、「はよせな」と、つぶやきながら、穴に飛び込むと、穴は再び塞がった。
桃太郎印の好色一代超人 - 病むに病まれてビラの裏 - 文投げ部

 というようなベタな書き出しになり、これは一つの『メタなネタ』であると思う。ところで、タイトルの『桃太郎印の好色一代超人』は、これを書いていて、木屋町を歩く前夜に考えていたような気がした。実は、このタイトルの中で、書いた本人的には、『超人』が強調したいところ。キン肉マンとかじゃあなくて、哲学的な意味での『超人』。



背景

 『超人』という言葉を考えていたのは、ちょっと前に『哲学』のニュアンスのある本を読んでいたから。

マンガは哲学する (講談社SOPHIA BOOKS)

マンガは哲学する (講談社SOPHIA BOOKS)

時々、マンガ以外の本も読むのですが、気になった一冊。永井均先生の、『マンガは哲学する』を読みました。読んで考えたことは、「『ジャンプ感想』の観点や切り口とは?」ということでした。
マンガは哲学する(永井均)から『ジャンプ感想の切り口』を考えた。【マンガ・アニメ】

 この感想の中では、ネタバレになるので、内容の紹介は極力控えていたのだけど、その内容の中で、『超人』に関する下りがある。それは、「存在しながらにして、存在しない。」、「いるのに、いないと思われる存在。」というような表現をされていた…と思う。

 その部分は、私の中の問題意識と融合して、次のような解釈につながった。例えば、ファブリーズ(笑)とか、髪型をセットするとか、小奇麗な格好をするとか、歯を磨くとか、他人の目を意識した行動は、真に自分の意思にもとづく行動なのか?もちろん、不潔を推奨する訳じゃあなくて、「他人から評価されたい」という、自己実現というモノもあるかも知れないが、それらのステージを越えたところに、『超人』が存在し、真に自分の意思に支配された自分なのじゃないか?という風なことを考えていた、思想的な背景があった。


書きたかったこと

 背景で考えたことと、桃太郎印に関して考えた疑問の前後は、分からないけど、「もしも桃太郎印のキビ団子を自分で食べたらどうなるのか?」というのが、着想からの早い段階にあった。その答えは、「真に自我により支配された自分」であって、そこが昨日の小説で書きたかった部分である。

最後の1個は自分で食べることにした。思えば、この団子を手に入れてから、世の中の自分以外の鬼畜、カスどもを、正しい道に導いてきたような気持ちでいたのだが、それは、カスどもが、そこにいたために起きた感情であり、真に自我に基づいた行動ではなかった、ということに、団子を食べた後に、即座に分かった。

 私の身体は、キビ団子を食べたことにより、私の意思、意識、自我、アイデンティティ、魂により支配され、真に自分を律したということが、ありありと分かる。親元を離れ、自炊をし、それなりに自立したと思っていたが、今のこの感覚は、それを越えた自律である。
桃太郎印の好色一代超人 - 病むに病まれてビラの裏 - 文投げ部

 この部分が、描きたかった部分であり、小説のオチである。ここに至る流れがあるから、これよりも下に大オチがある。この流れに至るまでに主人公がおこなった罪を報復しておかないと、筆者が「キチガイ」と思われねない…という自己防衛反応があったのかも知れない。


下ネタ化

 偶然手に入れた「桃太郎印のキビ団子」を本人が食べることが「書きたいこと」なら、すぐに自分が食べても良いのだけど、それだと直に終了するし、説得力に欠ける気がするし、何より、面白くない。このダイアリは、そもそも下ネタ色が強いのは、「つまんねー文章でもエロいこと書けば興味を持たれるハズ」という浅はかな考えに基づいている。これ書いていて思ったのは、下ネタ以外にも「人に食べさす」使用方法はいくらでもあるように思えたのだが…「人を自分の思い通りにコントロールできる」という状況において、「エロ」を書かないのは、極限を描いていない気がする。

 まぁ、もっと安易にエンターテイメント性を増すために、下ネタ要素を加えていった。

信じられない光景が目の前で繰り広げられてる。女子(笑)達は、互いに服を脱がせあい、男どもは、互いに、尻を嗅ぎながら、陰茎を奪い合うように、弄び、「棒倒し!棒倒し!」と叫んでいる。みんなで、岡山土産のキビ団子を食べて、自分は、お腹が減ってなかったので、それを見ていたのだが、その後、二言三言冗談を行ったら、この酒池肉林とも言える、桃源郷が現れた。

 その後、自分は、女子達と変わりばんこに、一人三回ずつセックスをして、男どもには、互いに相手を換えて、男同士でセックスをするように命じた。最後の方は、ぜんぜん、何もでなかったが、何かが達した感じを貪っていた。それで今日が終わり。家に集まった家畜達はには、「今日のことを絶対に口外しないように」と念をおしておいた。話すと殺す、とまで言わなくても、こいつらは絶対に話さないようだ。団子の効能は一生続く。

 そもそも書きたい部分じゃあないから、キーボードに任せて、あんまり考えないで、振り向かないで、思いついたまま考えた。女の子と自分だけでお茶会を開くようなリア充は、私の小説の主人公になりえないし(なったとしてもヒドイ死に方をする)、また、女の子が裸になったりするだけのエロシーンは、30歳を越えた男が書くことじゃあない気がする。

 ショート・ストーリーの盛り上げ方の一つとして、有効なのが、「加速とエスカレート」だと思う。オチは、思い浮かんでいくから、「性欲の自由」を加速し、エスカレートさせて行く。

欲を満たすという行為は、人間性を破壊する行為だということが分かる。それが少量であれば、すぐに再生するのかも知れないが、大きな欲望を満たせば、それだけ、内面が壊れる。老、若、男、女。女から始まり、その全ての組合せを堪能するにつれて、自分の人間性が破壊されていく。

 この部分は、その中で生まれた副産物。これは、最近考えたいた別の問題意識なんだけど、捻じ込んでみた。「人間性の破壊」とか、「内面が壊れる」がキーワードで、それは、そもそも、別の考えなようにも思えるが、ここでは、言及はやめておく。

 副産物を経て、加速は終点に向かう。

老人ホームに足しげく通うようになった時、団子は、遂に最後の一つとなった。

 『老若男女』の中で、嗜好は様々だけど、『老』は最後の人が多いと思う。人に喜ばれるのは、『若』の中の『幼』×『男・女』だと思うけど、安易にロリ展開にしなくて、そして、ちゃんと、収束点をボカさずに書いたのは、ネット小説を書く立場として、自己成長が感じられて、嬉しかった。

 ちなみに、大オチに向かう中で生まれた、もう一つの副産物。

このカスみたいな世の中で、例えば、草食系男子とか、女子力とか、スウィーツ(笑)とか、カスがカスのためによってたかって考えたカスみたいな概念が腐りきってカスのようになっているカスのような世の中

 もう完璧に指から生まれた表現のような感じ。偶然捻じ込んだ「人間性の破壊」から生まれた言葉、文章だけど、リズムも良いし好きな感じ。現代社会のキーワードが入っているのが、イージーな気がするけど。


贖罪

 物語のエンターテイメント性を高めるためだけに導入した下ネタ展開だったが、その関係で、『超人』を『殺す』というオチを用意せざるを得なくなった。

私は、真に自我により、自分をコントロールして生きている。身体の中に、意志とパワーとエネルギーが満ちているからこそ、不特定多数との性交渉により引き起こされた未知の感染症により、身体を蝕まれても、最後の瞬間まで、誇り高く生きていることができるのである。

 もしも、最後の言葉が許されるなら、私から団子を食べた者と、その家族、関わりのある人、全てのカスどもに、謝ってから、この世をたちたい。死の間際に、このように考えることができる私は、本当に素晴らしい。

 既に書いたが、罪による罰を与えなかったら、書いた人が「キチガイ」だと思われかねないし、また、着地しなかったら、宙に浮いたような印象になると思う。この部分を別の形でクリアしたら、作家性(笑)が広がるように、今、思った。超人に至った人が、世俗的な理由で死ぬというのは、精神の強さと、肉体の弱さが対比されている感じがするけど、もっと、別のオチは用意できなかったのか、とも、思った。


本意の霧散

 ここで、冒頭に書いた文投げ部部長の感想を振り返る。

id:sasuke8 創作, 歯車的, わるいゆめ 素晴らしい。悪用の1パターン。F先生は絶対描かない。 2012/04/09

 「お、部長から、はてブついた。」観る「(´・ω・`)」。『超人』という言葉じゃあなくて、『悪用』が使われている時点で、一番、書きたかったことが伝わってない、もしくは、下ネタの力に食われてしまった…という結果なんじゃないだろうか。これが、「真の超人のあり方を考えた」とか、コメントがついたら、本当に書きたいことが伝わった…ということなのだろうけど。ちょっと、下ネタのパワーのコントロールは、考えた方が良いように思えた。


おわる。

 昨日、博多華丸・大吉さんが司会をされている「俳句の番組」を観ていた。その中で、限られた時間でキーワードに関した(例えば「小魚」)俳句を作ったり、他の人の俳句の感想を述べていた。誰が書いたか分からない状態で、感想を行った後に、本人登場…みたいなのは、面白かった。「アイドル」が題材だから、詠み人は「男」という感じで、感想を言ってたら、詠んだ人は女の子だった…とか。

 その中で、自分の句の解説は、もしかしたらなかったのかも知れないが(覚えとらん)、感想とか解説というのも、立派なエンターテイメントなんだな、と思って、このエントリを書いた。

 部員間で、最も行われているのは、はてブで「一言コメント」とかで、それは、拡散的には大事だと思うのだけど、感想の交流によって醸成される感性を期待して(同人臭には注意しながら)そういうのを、やってみても良いのじゃないかな、と思った結果が、これ。

 引用とか、トラックバックとかを駆使して、そういうのをやってみても良いのじゃないかな。時間の許す範囲で。自分のことを書いたけど、他の部員の作品の「本意」を、ちゃんと汲んでいるかどうか怪しい気がする。


 これは、余談だが、久しぶりに「病むに病まれてビラの裏」というタイトルっぽいのが書けたと思う。推敲とか、そんなんじゃなくて、書きたいと思ったら、書き殴り抜けるのが、このブログの本来の趣旨だったように思える。

 テレビセックス。