病むに病まれてビラの裏 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012/04/09 (月)昔話パロディーと同じくらいにメジャーな方法。

桃太郎印の好色一代超人

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 目の前に黒い楕円が現れたと思ったら、そこから、何か青いのが転がり落ちてきた。そうすると、黒い楕円…中空に開いた穴…の中から、小学生くらいの子どもの声がして、青いのは、「はよせな」と、つぶやきながら、穴に飛び込むと、穴は再び塞がった。

 それが昨晩の話。たまにある、革命的な、背骨から痺れるような、脳がチカチカするようなオナニーの後だったので、それは、幻覚、もしくは、夢と現実の間…のように起きたから感じたのだが、床の上に袋が残っていた。自分が買ってきた覚えはない。それが、あの青いのの落し物かは、確証はないが、変なモノが床の上にあるのは、事実だ。

 手にとってみると、それは、「桃太郎印のキビ団子」だった。そう書いてあるから商品名なのだろうか。岡山土産か。手にとってみてみると、「トクホ」のような、背伸びをした人間のロゴが入っている。「医療外薬品」などと書かれている。単なる菓子じゃあ、ないのかも知れない。詳しい効能を読んでみると、「このキビ団子は、ある一定の知能(脳)と摂食・消化器官を持つ動物に食べさせると、貴方の言うことをなんでも聞きます。哺乳類はだいたい大丈夫です。」と書かれている。バカバカしい。さっそく、大学の同級生や後輩を家に呼んで、お茶会をすることにした。


 信じられない光景が目の前で繰り広げられてる。女子(笑)達は、互いに服を脱がせあい、男どもは、互いに、尻を嗅ぎながら、陰茎を奪い合うように、弄び、「棒倒し!棒倒し!」と叫んでいる。みんなで、岡山土産のキビ団子を食べて、自分は、お腹が減ってなかったので、それを見ていたのだが、その後、二言三言冗談を行ったら、この酒池肉林とも言える、桃源郷が現れた。

 その後、自分は、女子達と変わりばんこに、一人三回ずつセックスをして、男どもには、互いに相手を換えて、男同士でセックスをするように命じた。最後の方は、ぜんぜん、何もでなかったが、何かが達した感じを貪っていた。それで今日が終わり。家に集まった家畜達はには、「今日のことを絶対に口外しないように」と念をおしておいた。話すと殺す、とまで言わなくても、こいつらは絶対に話さないようだ。団子の効能は一生続く。


 燃え尽き症候群…という言葉を、初めて実感した。そんな言葉は、自分には、無縁なモノだと思っていたのだけど、それが、今日きた。初っ端から、ハードなセックスをフルパワーダッシュしすぎたのかも知れない。もう、性に関する興味のほとんどが尽きてしまったように思えたの。のだが、人間の身体は素晴らしいモノで、体内でソレが生産されるのにあわせる様に、むくむくと、欲望が、再生していった。


 当たり前の話だが、団子は食べさせるとなくなった。袋の中の数は100にも満たない。自分が抱えることができる性奴隷には、数の限りがあるのだ。お金持ちになれる訳じゃあない。欲を満たすという行為は、人間性を破壊する行為だということが分かる。それが少量であれば、すぐに再生するのかも知れないが、大きな欲望を満たせば、それだけ、内面が壊れる。老、若、男、女。女から始まり、その全ての組合せを堪能するにつれて、自分の人間性が破壊されていく。老人ホームに足しげく通うようになった時、団子は、遂に最後の一つとなった。



 残り1個となると、途端に惜しくなるのは、人間の器の小ささかも知れない。しかし、性に関する全ての感情を満喫した自分は、一生のうちの作られる精液を全て使い切ったのか、もう、欲望というのがカラになってしまったように思える。肉体を刺激することでの快感、苦悶に満ちた、愉悦のような感情は、自分の中を通り過ぎていくのだが、その根が腐ってしまったのか。出ても、出ているだけ、というそういう感覚になってしまった。脳が痺れをやめてしまった。

 その団子には、賞味期限はないのかも知れないが、最後の1個は自分で食べることにした。思えば、この団子を手に入れてから、世の中の自分以外の鬼畜、カスどもを、正しい道に導いてきたような気持ちでいたのだが、それは、カスどもが、そこにいたために起きた感情であり、真に自我に基づいた行動ではなかった、ということに、団子を食べた後に、即座に分かった。

 私の身体は、キビ団子を食べたことにより、私の意思、意識、自我、アイデンティティ、魂により支配され、真に自分を律したということが、ありありと分かる。親元を離れ、自炊をし、それなりに自立したと思っていたが、今のこの感覚は、それを越えた自律である。自分は、超人になったような感覚があり、それが、人間にはオコガマシイ感情であると内省することもできる。


 このカスみたいな世の中で、例えば、草食系男子とか、女子力とか、スウィーツ(笑)とか、カスがカスのためによってたかって考えたカスみたいな概念が腐りきってカスのようになっているカスのような世の中だが、自分の意思で生きているようで、全体の中に生き、自由に選択をしているようで、選択肢は限られ、真に自我に基づいて生きている人間はいるのだろうか。いいや、きっと、いやしない。皆、常に他者に影響をされ、貧富・社会的身分をとっぱらえば、常に、隣人に怯えながら、暮しているようなのが、人間という社会だ。

 私は、もうなくなったが、団子を食べることで、そのステージから脱することができた。私は、真に自我により、自分をコントロールして生きている。身体の中に、意志とパワーとエネルギーが満ちているからこそ、不特定多数との性交渉により引き起こされた未知の感染症により、身体を蝕まれても、最後の瞬間まで、誇り高く生きていることができるのである。

 もしも、最後の言葉が許されるなら、私から団子を食べた者と、その家族、関わりのある人、全てのカスどもに、謝ってから、この世をたちたい。死の間際に、このように考えることができる私は、本当に素晴らしい。

ゲスト